bluescatの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-09-06You Don't Remember, I Won't Forget このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 前回の日記で、


 この世には何一つ自分のものと呼べるものはない、という考え方がある、と書きましたが。


 モノへの執着を捨てなさい、ガツガツするな、というのが、この考え方の本質なのかな、と思います。

 『お借りしている』モノへの執着を捨てると、穏やかな心でいられる、ということなのかな、と。

 でも、執着、というか、こだわりがないのもどうなのかなという気もします。

 一歩間違えると執着となってしまう、こだわりというのは、微妙な匙加減なのかもしれません。



 昔、コマーシヤルか何かで、

 「プライドを持つこと、プライドを捨てること、どちらも大切なんだ」

 ……みたいなこと言っているの、ありましたっけ?

 古くてスミマセンここ何年もテレビを観ていないもので。。(ちなみにまだチデジカしてません)



 てな具合で、

 

 「こだわりを持つこと、こだわりを捨てること、どちらも大切」

 って感じですかね。

 持つべきところは持つ、棄て去るべきところは棄てる、双方ともに、バランスよくいけるのが理想なのかもしれません。





 ところで、先日、夢を見ました。

 失くした、と思っていた、お気に入りのモノたちが、ずっと着てなかった服のポケットから出てくる、という夢です。

 ものすごくなつかしく、うれしい気持ちになりました。



 と、同時に、なぜか拍子抜けしたような。

 失くしたわけではなくて、単に、忘れていただけなんだ。と。



 失うわけじゃない、忘れるだけなんだ。

















 B.G.M:

 Cee Lo Green - ‘Forget You’

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2011-08-08Borrowed, Never Owned / すべて借り物 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 先日、ミュージシャンの知人のライヴを観に行きました。

 途中、MCというんですかね、演奏の合間にしゃべっている時に、


「時々、自分の身体が自分のものでないような気がする」


 というようなことを言っていまして。


「自分の身体であって、自分だけのものでない、まるで世界の一部のような、空間の一部のような気がすることがある」


 と。

 非常にイマジネイションを掻き立てられるような、インスピレイションが湧いてきそうな MC でした。

 彼の歌も、いろんな感覚が刺戟されるような歌ばかりなので、ぜひいろんな人に聴いていただきたいな、なんて思っているのですが。。



 さて、先ほどの彼の MC を聞いて、私は、ブッダが説いたという言葉を、思い出しました。わたくし、無神論無宗派無宗教の人間、なのですけれども、たまたま聞いたことのある、とある言葉です。





  この世には、なに一つ自分のものと呼べるようなものはない。

  お金や家、恋人、配偶者や子供も、「自分のもの」など何もなく、死ぬ時には全て置いていかなくてはいけない。

  自身の肉体でさえ例外ではなく、すべては「天からの借り物」なのである。





 というような内容だったと思います。ちょっと違っている部分もあるかも?

 お母さんのお腹の中にいる時から、借り物ぐらし。生まれてからも、死ぬる時まで、ずっと借り物ぐらし。一生をかけて、借りを返し続けていくのだ、そうです。



 もしかすると、知人が時々感じるという、「自分のものであって、自分のものでないような」感覚は、このブッダの教えと近い、「借り物であるかのような」無意識の感覚なのではないか、などと、考えました。

 そして、お借りしているものだからこそ、住まわせていただいている世界だからこそ、慈しみの心で接するべきなのかな~、なんて。



 自身の一部としての世界。あるいは、世界の一部としての自分。



 お借りしている自分の肉体を、自分自身を、愛するこころ、自身を慈しむ気持ちを持つべきなのかな、と。

 震災以降、そんなふうに思う気持ちが少しずつ、大きくなってきました。

 なかなか難しいですが。



 ではでは。

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2011-06-25Sense of Wonder / 目を見はる感覚 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 あたりまえだった日常があたりまえでなくなって、百日余り。あたりまえでなかったはずなのに、それがつづけば、だんだんあたりまえになっていったりも、するのでしょうか?



 さて。



 先日、旧い知人とその子どもに会いに行きました。しばらくぶりに会って、子どものあまりの成長ぶりにビックリし、相手からは「だれ?このひと?」という感じで訝(いぶか)しがられ、二重にショックを受けました。

 数年前に会った時は私のことを「おねーたん」と呼び、抱っこしたまま膝の上で寝ていたりしてたのですけどね。。

 関東の、とある海沿いの地域に住む知人でしたが、今回の震災の為、引っ越しを余儀なくされ、現在は内陸部に住んでいます。

 新居近くの山へピクニックに行って、あまり見慣れていないらしき山のものたちに興味津々な子どもの様子を眺めながら、のんびり過ごしておりました。

 そんな中で、ふと、ある本のことを思い出しました。




 レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』です。




 レイチェル・カーソンといえば、DDTなどの農薬(化学物質)による環境汚染問題にいち早く警鐘を鳴らしたとされる『沈黙の春』が有名かと思いますが。

 『沈黙の春』執筆中に癌の宣告を受け、余命わずかなレイチェル・カーソンが最後に遺した『センス・オブ・ワンダー』は、写真を含め、全60ページほどの掌編ですが、幼い甥のロジャーとともに体験した自然の美しさを、詩的な文章で綴った作品となっています。

 タイトルにもある"センス・オブ・ワンダー(Sense of Wonder)"とは、レイチェル・カーソン自身の言葉によると、誰でも幼いころに持っている「神秘さや不思議さに目を見はる感性」のことだそうです。




 「子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になる前に澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。」




 この感性=センス・オブ・ワンダーは、「やがて大人になるとやってくる怠慢と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になる」といいます。

 つまらない、とは若干オーバーな表現かとも思われますが、はっとさせられる一文でした。





 わたし(たち)はおとなになって、何を得て、何を失ったのだろう? などと考えることがあります。神秘的な物事を不思議がる感覚、人を超えた力を畏敬するこころ……。




 今回の震災で、個人的には、自分の"センス・オブ・ワンダー"が問われたような気がしています。

 自然の力を甘く見ていたのではないか、何か過信していたことがあったのではないか、等々。

 いろんな意味で感覚が、感情が、鈍っていくような、鈍らされていくような、そんな気持ちがずっとしていました。

 "澄み切った"感覚を失ってしまったのですかねえ。

 もしも、失ってしまったらしき"センス・オブ・ワンダー"を取り戻せるなら……。




 レイチェル・カーソンはいいます。それは、とても簡単だと。


 「「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。」


 世の中の神秘を"感じる"だけでよい、そこに"知識"は必要ない、と。




 "感じる"ことで、「内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見つけだすことができると信じます。」




 いろいろなものを感じて、"世の中に目を見はる感覚"、をほんの少しでも取り戻せたら良いなと思う梅雨のある日でした。




 そして、(将来の)自分の子どもと、神秘を一緒に感じ、「子どもが知りたがるような道を切りひらいて」やれたら、「生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー…神秘さや不思議さに目を見はる感性」」を持ち続けてもらえたら、いいなと思うのです。

 ――その為には、かけがえのない地球の豊かな自然、美しい環境が必要なのかな、とも。















 レイチェル・カーソンの『沈黙の春』は、綿密な調査に基づいた冷静(かつ文学的)な論文ですが、出版された当初は、農薬会社から農薬をやめたら害虫が大発生する、DDTBHCが人体に害のないことは証明ずみである、と批判されたそうです。

 なかには、「根拠のない妄想」とか「独身女のヒステリー」といった心ない言葉による誹謗中傷もあったとか。

 「カーソンは私たちを恐怖に陥れようとしている。そして、それは概ね成功している」という書評も。

 農薬が土壌中に長く残ること、それがしだいに人体に蓄積されること、生物の薬剤抵抗性や野生生物の個体数調節の仕組みなどが人々の常識になるのには時間が必要で、本の出版後、だいぶたってからだった、そうです。



 ……なんか、似てますね? さいきんのできごとと。

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2011-05-28I LOVE ME / ずっとウソだった このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 なんとなくふっと思い出したのですが。

 シンガーの斉藤和義さんの作品で『I LOVE ME』(正式表記は『I (ハートマーク) ME』)というアルバムがあります。四年前くらいの作品だったでしょうか。

 よくよく考えてみると、結構すごいタイトルだなあ、と思って、個人的に(失礼ながら)ウケてしまって。友人(というかその時付き合っていた人)に、

「アイ・ラヴ・ミーって、すごいよね~」なんて、おちゃらけて云ったところ、その人も笑っていましたが、ちょっと真面目な貌(かお)で、

「まあ、音楽やってるやつなんて、大概(たいがい)みんなアイ・ラヴ・ミーだけどな」

 なんて云っていたものでした。

 その時は、ふうん、そうなんだあ、くらいに思っただけでしたが。



 その人も音楽をやっている人でした。

 どちらかというと、I LOVE THEM, I LOVE ALL な人で、非常に人当たりがよく、LOVE & PEACE な雰囲気をもっていたので、みんなの人気者でした。

 けれども、やはり、音楽をやっている人、ギターの弾き語りというミニマルな手段で世の中に向かって自己を表現している人ですから、やはり、I LOVE ME な部分が人一倍あったのかもしれません。

 音楽が好きで、じぶんが好きで、じぶんの歌が好きで、じぶんの歌を聴いてもらいたくて。

 でも、I LOVE ME というのは、はずかしくて。

 もしかすると、そんな照れ隠しに、おれはロックだ、ロックが好きなんだ!と云っていたけれど、本当は I LOVE ME と叫んでみたかったのかも。それをあっさりと云ってのける斉藤和義さんのことをほんの少しうらやましいと思ったのかも、などと想像したりしました。





 その当時、斉藤和義さんに関わるお仕事をさせていただいたことがありました。といっても、アルバムのプロモーションのお手伝いをさせていただいただけで、実際に斉藤和義さんにお会いしたりとかはなかったです。

 斉藤和義さんは、スタッフの皆さんから「和義さん」と名前で呼ばれ(あるいは「せっちゃん」という愛称で呼ばれ)、慕われているという印象を持ちました。きっと、非常にいい関係を築きながら、いい環境で音楽活動されているのだろう、と。

 その前後から、「ウェディング・ソング」、「やぁ無情」、「おつかれさまの国」、「ずっと好きだった」、などのヒット曲を立て続けにリリースしていたことでも、それは分かりました。

 1994年の「歩いて帰ろう」のヒット以降、(一部の人たちからは支持されていたものの)第一線からは遠のいているという印象がありましたが、ここ数年はCMタイアップなども多く、一部のファンや音楽好きだけでなく、広く世の中にアピールできるアーティストとして還り咲いたのだな、と思っていました。




 震災から一ヶ月が経とうとしていた、四月のある日。ネットのニュースで、斉藤和義さんのヒット曲「ずっと好きだった」の替え歌の「ずっとウソだった」という曲が動画サイトで話題になっているということを知りました。

 ご本人による歌唱とのことで。

 原発の安全性を謳い続けていた政府や電力会社への痛烈な批判の歌でした。




 音楽業界の末端にいる私でも、それがどんなに危険な行為か、分かります。原発批判をすれば、非常に多くの敵をつくることになります。CMタイアップから外されたり、テレビ出演をキャンセルされたり、コンサートホールを貸してもらえなくなったり、最悪、レコード会社から干されることだってありえます。ミュージシャンにとって致命的な状況に陥る危険性があることは目に見えています。

 それでも、「ずっとウソだった」と歌ったのはなぜなのでしょう? 動画サイトへアップしたのはなぜなのでしょう?




 I LOVE ME な人、じぶん大好きな人、じぶんかわいい人であれば、そんな危険を冒さなくても良いのに。

 それでも歌わずにはいられなかったのは、やっぱり、本当に、正真正銘の I LOVE ME だからこそなのかな、と思いました。



 痛烈な批判ソング、として話題になっていましたが、何よりも伝えたかったのは、「ずっとウソをつかれていたこと」に対する怒り、そして、「騙されていたんだ」という、半ばあきらめの気持ちだったのではないかと思うのです。

 "大好きな" じぶんと、じぶんが愛する人、じぶんを取り囲む人たち、環境を脅かそうとする存在を摘発すること、隠ぺいされてきた事実を指摘すること、それがじぶんなりの I LOVE ME であり、ミュージシャンとしてのじぶんがなすべきことだと思ったのではないか、と。

 危険を冒してでも歌わずにはいられない、じぶんが歌わなくてはいけない、と。



 アルバムタイトルに I LOVE ME とつけられちゃう人。危険を冒しても「ずっとウソだったんだぜ!」と歌っちゃえる人。

 じぶんも思っているけれど云えないようなことを云えちゃう人。代弁してくれる人。

 もしかすると、そこが斉藤和義さんの魅力であり、スタッフやファンから慕われる秘密なのでしょうか。

 皆、それぞれ、I LOVE ME で。原発反対派も、推進派も、みんな I LOVE ME で。守りたい領域、守るべき聖域があって。日々のいろんなニュースにもまれながら、それぞれの生活があって。

 

 "愛するじぶんの為に" 体を張ってでもやるべきことについて考えながら、"和義さん" の歌を聴いてみようかな、なんて。

 そんなことを思った、春のある日でした。

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2011-04-17People Come, People Go / ゆく河の流れ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

  "ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

  淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。"


 鴨長明(かものちょうめい、かものながあきら)による『方丈記』の、書き出しの一文です。

 流れる河の水が二度と戻らない、常に同じものはこの世には無い、それは「無常」という仏教の言葉と重ね合わせることができるのではないか? ――そんな思いから、この冒頭の文章を書き始めたのではないかと解釈されているようです。

 今回の震災で、さまざまな考え、思想、意見、叫び、呟き、……を見聞きしました。あれ以来、いろんな情報があふれすぎて、自分が流されてしまいそうな、押しつぶされてしまいそうな、そんな不安もあって、なるべくメディアの情報を遮断するようにしていて、そんな中で、ふと、友人から、

「まるで『方丈記』のようだね」

 と言われ、高校生の時の古典の時間以来でしょうか、読み返してみました。

 鎌倉時代、1212年ころに執筆されたというこの作品、かの有名な書き出しで始まり、移り行くもののはかなさを語った後、同時代の災厄についての記述が続き、後半は自らの草庵での生活が語られます。さらに末尾では草庵の生活に愛着を抱くことさえも悟りへの妨げとして否定しています。(Wikipedia 参考)

 短く簡潔な文章ながら、自らが体験した四大災厄についての描写は、まさに今回の震災を思い起こさせるような内容で、何度も読み返してしまいました。

 四大災厄、すなわち、『安元三年(1177年)の都の火災』、『治承四年(1180年)に同じく都で発生した竜巻(およびその直後の福原京遷都)』、『養和年間(1181年~1182年)の飢饉』、さらに『元暦二年(1185年)に都を襲った大地震』を指します。

 ぜひ原文および現代語訳でお読みいただきたいのですが、要約としまして、以下 Wikipedia より転載。



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[安元の火災]

安元三年(1177)四月二十八日午後八時頃、都の東南(現在のJR京都駅付近か)で、舞人の宿屋の火の不始末が原因で出火した。火はまたたく間に都の西北に向かって燃え広がり、朱雀門大極殿・大学寮・民部省などが一夜のうちに灰燼に帰した。公卿の邸宅だけでも十六軒、一般家屋に至っては都の三分の一が焼失した。死者は数十人(『平家物語』の記述では数百人)であった。


[治承の竜巻]

治承四年(1180)四月、中御門大路と東京極大路の交差点付近(現在の京都市上京区松蔭町、京都市歴史資料館の辺りか)で大きな竜巻(長明は「辻風」と記述)が発生した。風は周囲にあるものをあっという間に飲み込み、家財道具や檜皮、葺板などが、あたかも冬の木の葉のように宙を舞った。風の通ったあとには、ぺしゃんこに潰れたり、桁や柱だけになった家が残された。竜巻は市街地を南南西に向かって走り抜け、現在の東本願寺の手前辺りで消滅したものと思われる。


[養和の飢饉]

養和年間(1181-1182)2年間にわたって飢饉(養和の飢饉)があり、多くの死者が出た。旱魃、大風、洪水が続いて作物が実らず、朝廷は様々な加持祈祷を試みたが甲斐なく、諸物価は高騰し、さらに翌年には疫病が人々を襲った。仁和寺の隆暁法印が無数の餓死者が出たことを悲しみ、行き交うごとに死者の額に「阿」の字を書いて結縁し、その数を数えたところ、養和二年四月・五月の左京だけで、四万二千三百余に達したという。なお、この飢饉は福原遷都や、源頼朝源義仲をはじめとする各地での武力蜂起とその追討の影響によって拡大した面があるが、方丈記にはその点は触れられていない。


[元暦の地震]

元暦二年(1185年)七月九日、大きな地震が都を襲った(文治京都地震、地震の年表#日本参照)。山は崩れ海は傾き、土は裂けて岩は谷底に転げ落ちた。余震は三ヶ月にもわたって続いたという。

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 元暦の地震は、推定でマグニチュード7.4ほどの規模であったといわれているそうです。

 800年以上も前から、いえ、それよりもずっとむかしむかしから、本当に日本というのは地震と、台風と、もろもろの天災の多い国なのだということが分かる描写です。

 自然とたたかってきた、というより、自然とともに共存し、時に自然に打ちのめされ、それでも負けずに立ち上がってきた日本人。

 今歩いていたかと思えば、いきなり倒れてしまう。朝には存在していたものが、夕には姿を失う。一瞬として同じ形でとどまるものなどない。度重なる災害からそんな無常観を、無意識のうちに持ちながらも、不屈の魂で乗り越えてきたからこそ、いまこうして、ここに、私(たち)がいるのでないか。と考えるのです。

 被災されたかたがたの為に、傷ついた人たちの為に、私(たち)は、何ができるのか?

 思うに、一人で何億円も寄付することはできなくても、ボランティア活動に参加することはできなくても。自分の人生を一生懸命、生きること、それが私(たち)にできることなのかなと思うのです。はかなく未来を奪われてしまった人たちの分、今日を、明日を、一生懸命、生きていくこと。そうして、いつか遠い未来、2011年に大地震があって……と語られたとき、不撓不屈の魂で乗り越えたのだと、伝えられたらいいなと思うのです。










 BGM:

 Barry McGuire - 'Eve of Destruction'

 P.F. スローン作、バリー・マクガイアによるプロテスト・ソング。

 邦題は「明日なき世界」。

 RCサクセションが『カバーズ』でカバーしていたり、Johnny Thunders がカバーしていたりしますね。

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2011-03-25Pay It Forward / 可能の可能性 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 もう何週間も前のような、まだ5日くらいしか経っていないような、不思議な気持ちになります。

 あれから、二週間が、経ちましたね。



 震災の後、いろいろなかたから、メールで連絡をいただきました。身を案じてくれたり、いたわってくださったり、実家(茨城県)のことを気にかけてくださったり。中には、用件だけを伝える人もいましたが、その事務的な感じ、その冷静さが逆にありがたかったりもしました。

 こんなわたくしでも、一応、女性なので、震災直後はもちろん、不安と恐怖心でいっぱいでした。

 この、仕事一筋……ではなくて、0.5筋(残り0.5筋は、音楽…?)のわたくしが、突然、1週間もの自宅待機指示の為に、出社できなくなり。予定もほとんどがキャンセルとなり。けっこう、孤独な日々でしたね。。これだから、独身・一人暮らしは。。と思ったものです。

 日ごろ、私は自分のことを、冷静かつ論理的な人間である、と思っていました。それが良いとか悪いという話ではなく、あくまでそういう性質を持っている、ということですけれど。

 その冷静さがもどかしくなることもあり、また、音楽などの表現活動の上でそれが邪魔になることはあるものの、これは、私の短所でもあり長所でもあるのだ、と思うようにしていました。

 それが、今回の混乱の中で、恐怖や不安で冷静ではいられなくなり、なにかにすがりつきたいような、なにもかも放り出したいような気持ちになったことも……?

 映画でもありましたね。落ち着いた人間を自負していた人が窮地に追い込まれて、取り乱し、本性を出す、みたいな。。

 あんなふうになるのかな。。それはそれでいいのかな。。でも、やっぱり、それはこわいな。。。などと思ったり。



 混乱と不安と疑惑と……、そんな中でいただいたメールが、どれほどこころの慰めになったことか。

 本当にありがたく、ひとのあたたかさに、とても感激したのでした。



 そして、こんな時こそ、“ペイ・フォワード”なのだな、と思ったのです。



 “ペイ・フォワード”、とは、人から受けた厚意(親切)を、その相手に返す(ペイ・バック)のでなく、別の三人の人へ渡そう(ペイ・フォワード)という考え方のこと。

 キャサリン・ライアン・ハイドの小説、および2000年製作の映画『ペイ・フォワード 可能の王国』(原題: Pay It Forward)で描かれています。私は小説は未読ですが、映画の方は何年か前に観ていて、印象に残っていました。

 さいきん(といっても震災の前ですが)、mixi にて、my mixi のトムっちさんも日記に書かれていて、

 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1669517402&owner_id=15203780

 それが、心に片隅にあって。

 今回の震災で spark する、というのですかね、flash back する、というのですかね、《このことか》と、はっとしました。


 自分が不安だということは、きっと他にも不安だと思っている人がいるはず。

 自分がありがたいと思ったことは、きっと他にもありがたいと思う人がいるはず。


 震災の後、もらってありがたかったメール。ありがたいと思った気持ち。それを今度はわたしが別の人に渡したい、と思いました。

 映画では三人に渡せ、と言われていましたが、三人に限らず、一先ず、何人かの人に連絡を取ってみることにしました。

 お陰で(という言葉が、今回適切かどうか疑問ですが)、しばらく音信不通だった知人の近況を知ることができたり、ひさしぶりに会う友人がいたり、各地のいろんな声(インターネットの情報ではなく、生の声)を聞くことができたり。

 今回連絡を取ったことがきっかけで知人のライヴの情報を知り、観に行ったところ、そのライヴ会場で、これまた別のしばらく会っていなかった知人と偶然再会できたりして。

 ペイ・フォワードしたことが、早くも、自分のところに返ってきたのだな、と思いました。

 特に見返りとか、そういったことは考えず、気遣ってくれた人への感謝の気持ちをもちつつ、それを別の人に渡していく、ということをしてみただけなので、思ってもみないことに、とてもうれしくなりました。

 これこそ、“ペイ・フォワード”なのでしょうか。

 なんの見返りも求めず、うれしかった気持ちを、ただ、別の人へ手渡していく、という。もし、なにかじぶんにうれしいことが起こったなら、それは巡り巡ってきた“ペイ・フォワード”。また、別の人に渡していけばいい、と。

 それをもし、いろんな人が実践していったら、不可能と思われることが可能になるのでは……。

 映画が伝えたかったのは、そういうことなのだと思うのです。


 John Lennonジョン・レノン)さんの「Imagine(イマジン)」のような世界。

 Bob Marley(ボブ・マーレィ) さんの「One Love(ワン・ラヴ)」のような世界。


 夢だ、理想的だ、でも現実的ではない、と言われてしまいそうな世界が実際のものとなるのかもしれない。

 偽善者だと言われてしまうのでは? 逆に迷惑がられるのでは? そんな不安もありますが、次(フォワード)へ渡していく、という前向きな気持ちがあれば、可能性を信じる気持ちがあれば……。

 “ペイ・フォワード”とは、そんな願いを実践する為の簡単な(、だけどちょっぴり勇気のいる)意識の提案なのかもしれません。








以下、Amazon より、映画 DVD の作品紹介文:

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89-DVD-%E3%83%9F%E3%83%9F%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%80%E3%83%BC/dp/B00005MINW

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[内容紹介]:

ひとりの少年のアイデアが、世界を変える。

ディープ・インパクト』ミミ・レダー監督。アカデミー賞俳優共演で贈る感動のストーリー。

11歳の少年トレバーは、社会科の授業中、担任のシモネット先生から「もし君たちが世界を変えたいと思ったら、何をする?」と問い掛けられる。悩んだ末にトレバーはあるアイデアを思いつく。それは"ペイ・フォワード"。他人から受けた厚意をその人に返すのではなく、まわりにいる別の人へと贈っていく…という奇想天外なアイデアだった。やがて、少年の考えたユニークなアイデアが広がり、心に傷を負った大人たちの心を癒していく…。

[Amazon.co.jp]:

「もし君たちが世界を変えたいと思ったら、なにをする?」そんな社会科の先生の問いかけに、中学1年のトレバーは、きわめてシンプルかつユニークなアイデアを思いつく。しかもそのアイデアは、勇気を出せば誰もがすぐ実行できる、簡単なこと。ところが母親をはじめ、大人たちはなかなかそれを行うことができない。しかしそのアイデアに、本当に世界を変えるかもしれない可能性が出てきた。

現代人の癒しを1つのテーマとする、ミミ・レダー監督のヒューマン映画。芸達者な名優たちの競演も見ものである。ラストで合唱されるジェーン・シベリーの「コーリング・オール・エンジェル」の美しい響きも印象的だ。(的田也寸志

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2011-03-18Japon, mon amour / ラブユー日本 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 3月11日、金曜日。

 一週間分の疲れをため込んだ けだるさと、明日からの休日を心待ちにして、少し気持ちがはやるような、いつもの午後の時間が流れていた。そんな、春を目前にした、気持ちの良い午後の空気を破るように、最初はゆっくり、やがて、冗談だと笑っていられないほど大きな揺れに襲われたのである。今でも夢のような気がする。

 机の下にもぐって、怖ろしいほどの揺れを、四つんばいの恰好でじっと受け入れた。普段あまり会話することのない派遣社員の男性とはっと目が合った。もしかすると、目と目を交わすのはこの人で最後かもしれない、という気になって、視線をほどくことができなかった。きっと男性もそう思ったのであろうか、私たちはお互いに無言で見つめ合った。

 激しい揺れの中、斜め向かいの女性が、机の上に手を伸ばして携帯電話を探っているのが分かった。無意識に、万が一の際に必要となるであろう物に手を伸ばしているのだろう、たくましい気もし、少し、ものがなしい気にもなった。

 一度目の揺れが収まったとき、部署のリーダーの女性の元に皆で集まった。いつも気丈で弱音など吐いたことのないかたが、私の気のせいかもしれないが、その瞳がきらりと光っていたような気がした。たしかに、怖かった。

 きっと一瞬、誰もが何かの覚悟をしていたのではないか。

 午後6時に帰宅命令が出され、同じ方向の者同士で歩いて帰宅することになった。実は健康維持の為、会社からよく歩いて帰宅することのある私にとってはどうということはないが、普段歩き慣れていない女性、しかも、ヒールのある革靴では しんどかろうと思われた。突然の、思わぬ出来事に半ば呆然としながら、皆、黙って歩き続けていた。

 シブヤに着いたのは、7時。急いで帰っても仕方がないということで、何人かで食事をして帰ることにした。これから立ち上げる予定の新サービスについて熱く語り合った。

 午後9時。皆と別れ、さて、歩いて帰るか、と気持ちを引き締めて歩き出したとき、サラリーマンの男性にナンパされた。帰れなくなってしまった人なのであろうか、呑みに行こうよ、と。無視して行き過ぎようとするが、しつこく誘ってくる。少し、恐怖である。こんな東京の ど真ん中なのに。これが災害というものなのか。

 そんな震災1日目。





 東北地方に比べれば、まだ被害が少ないのだろうか、だが、報道を見る限り被災地のひとつと言ってよいであろう、茨城県の実家の家族とはずっと電話が繋がらなかった。

 翌日遅くにやっとメールで無事を確認できた。どうやら家族も実家も無事で、電気、ガスは通っており、水道だけが不通だという。水道だけ、というが水が出ないということがどれほど不便なことか。年老いた母のことが気にかかった。

 震災後三日目にやっと繋がった電話では、励まし、元気づけなければいけないと思った母に、逆に心配された。いまだに独り者で、世知辛い(というイメージの)東京で一人暮らししているから、さぞかし心細いと思ったのか。「こちらではみんなが助けてくれるが、貴女は一人なんだから」と。大変な状況であろうはずなのに、遠くはなれた我が子を気遣う母の声は、あたたかく、力強かった。私の心配など、笑ってしまうようなものである。母の偉大さを思い知った。もちろん、私が泣いたということは、どうか内密に。





 スーパーから、コンビニエンスストアから、食パンが消えた。乾電池が、ろうそくが、トイレットペーパーが。

 だが、パン屋に行けば、食パンがいつものように売られているという事実。

 友人の情報によると、某外資系大手CDショップには乾電池がたくさん置いてあったという。

 買い占めについて問題視されているようであるが、もし、自分に子どもや養わなくてならない家族がいたら、どうしていただろうかと考える。こんなとき、まず、守るべきは自分と家族。それ以外の人のことは二の次になってしまうのではないか?と。むろん、買い溜めにも程度があるが。冷静さを欠いた時、自分だけは絶対にそんなことはしない、と言い切れるだろうか?と。――わからない、その時になってみないと。自分と同じ立場ではない人がおかしてしまったことを責めるのはやめようか。

 不安もあるが、その分、気楽でもある独り者なので、ひとまず、食パンがなくても生きていける。乾電池は家にストックがあるし。ろうそくは、アロマキャンドルだけど、いくつかあるし。トイレットペーパーは、ストックがなくなったらウォシュレットでなんとかなるかな?と。文句を言う家族はいないので、どうにでもなるものである。

 この異常な状況の中で、どれだけ冷静に自分を保てるか。必要な情報と不要な情報を切り分ける為、極力、テレビは観ないことにした。インターネットも、今の自分に必要な情報だけを見て、すぐに遮断することにした。

 会社からは自宅待機指示が出、今週一週間は自宅でゆったり、気持ちを落ち着けた。





 会社の女の子で宮城県出身の子がいる。どうやらご家族は無事だった模様。ほっとする。

 義援金への協力をお願いされた。

 ぶっちゃけ、お金が一番うれしいのであろう。今まさに必要なのは、一個の握り飯であったり、一枚の毛布かもしれないが、この先ずっと続くであろう避難生活に本当に必要なものは、何よりも、お金なのかもしれない。

 阪神大震災の爪あとはいまだ癒えていないと聞く。いまだに仮設住宅に住まれているかたがいると。

 ヒーローになる必要はない、という。皆の善意だったり、時には偽善だったりするかもしれないものの、集大成としてお金が、どれほど必要となるのだろうか?






 BGM:

 Jay-z, Bono, The Edge & Rihanna - ‘Stranded (Haiti, mon amour)’


 ハイチ大震災支援の為に発表された楽曲。ハイチへのメッセージであるが、なぜか、先日の震災以来、聴いている。

 聞き取りなので、不正確かと思うが、歌詞の



  Haiti, ami amour

  Haiti, mon amour

  not gonna leave you stranded

  我が友、ハイチ、

  愛するハイチ、

  君たちを一人取り残したりはしない



 という部分に深く勇気づけられた。

 我が愛する日本を、東京を、茨城を、東北を、見捨てはしまい。

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