bluescatの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-10-19YOU MAY DO YA #1 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

- Ten Nights of Dream #1 -



 こんな夢を見た。

 住まいのすぐ裏の公園──囲町公園という──で、その道では名の知られているらしいパーカッショニストが演奏しているという。それほどの人物が何故うちの裏の公園などで演奏しているのか、理由は定かではない、が、ともあれ折角(せっかく)なので観に行ってみることにした。

 着いた時には既に物見高い見物客が溢れており、太鼓の音が人々の頭上を超え空高く響き渡っていた。

 どれ、どんな人物かと人垣の間から覗いてみると、濃いサングラスをかけた小柄なアフリカ系の男性が心持ち顎(あご)先を突き出して空(くう)を見上げながらバチを操っているではないか。

 躍動的なリズムから感じられる印象では、もっと大柄で野性的な人物かと思いきや、まるで木のように静かな印象を与える人物だったので肩透かしを喰らったような体(てい)。しかしながら、肩から先だけが別の生き物――魔術にかかった大蛇かなにか――のように思え、それが凄みをさえも感じさせるのであった。

 異国の人は、打面には一切目も向けず、顎(あご)を上げたまま、ただ只管(ひたすら)無造作に音を繰り出し続けていた。

 目が見えないのだろう、と思い、隣りにいた男に「盲人かね」と尋ねると、「おやそうかい」と返ってきた。「盲人だとも」とさらに私が返すと、「なしてそう思う?」と言う。私は「そう思うからだ」とだけ答え、その男から離れ、異国の人が繰り出す音に耳を傾けた。

 音は一向に鳴り止まなかった。異国の人は、見物人には一向頓着もせず、休みなくバチを操り続けていた。

「もう二時間になるぜ」隣りにいたアヴェクの男の方が言った。

「うん」女が返した。「すごいね」

 何がだいと私が尋ねると、彼らがやって来た二時間前からずっと、ただの一片(いっぺん)の休みもなく叩き続けていると言う。

「ほう、そうかね」

「そうだとも。彼奴、人間じゃない」男は信じられないといった面持ちで言った。「何がすごいって、彼奴、譜面も何も見てないんだぜ」

「ほう、そうかい」

「譜面も見ずに、二時間通して、一瞬の逡巡(しゅんじゅん)もなく、僅(わず)かな淀みもなくああやって演奏できるものかね。適当に叩いているように見えて、あれで狂いもなく正確に叩いているんだぜ」

 言われてみると尤(もっと)もだと思い、異国の人の方へ再び目を向けた。

「確かに、そうだねえ」と言いかけると、アヴェクの隣りにいた別の男が、

「なに、そんなに大したことじゃないさ」と言い出した。

「何が大したことねえってんだい」アヴェクの男がもの凄い剣幕で捲(まく)し立てた。

「いやね、あれは、太鼓を演奏しているんじゃねえんでさ」

 我々は顔を見合わせた。

「身体の中にね、リズムが流れていて、そいつを腕から放出しているだけなんでさ」そう言って男はにやりと笑った。「まるで泉みたいにね、リズムが後から後から湧き出てくるもんで、そいつをひょいっと放り出しているだけだから、間違えたり躓(つまづ)いたりすることなんかねえんでさ」

 我々はなんと返答して良いのかも分からず、ただ黙っていた。

「そもそも泉には『正しい』韻律なんてものはないから、『間違い』なんてものもねえんでさ」

 成程(なるほど)、太鼓を叩くというのはそんなものなのか。自分の好きな様に叩けば良いのかと思い始めたら、自分でも何か叩けるような気がして居ても立ってもいられなくなり、その男とアヴェクを後にし、そそくさとその場を立ち去った。

 薬師通りの古道具屋に古びた太鼓が置いてあったのを思い出し、早速出向いて三円二十銭のところを三円に値切って買い求め、裏山へ出向き、太鼓を叩き始めた。

 最初のうちは調子が良かった。自分の好きなように、自分の思うままに叩けばいいのだから、好き勝手に叩いてみる、のであるが、どうも、具合が良くなかった。

 あの異国の人物のようなリズムは到底鳴り出しえないのである。

 何度も、何度も、何度も、何度も、試してみるのであるが、ついに私は、せめて自分自身が快いような、小気味良いような、リズムを刻むことはできず、ただ、茫然とするばかりなのであった。

 そうして、どうやら私の身体にはリズムは流れていないのだと悟った。私の身体の泉には湧き上がるリズムの水は宿っていないのだ、いや、そもそも私の身体には泉すらないのではないか、と。



 そして、盲目のアフリカ人男性が此処(ここ)にいる理由もなんとなく分かったのであった。

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2010-10-12I'm Your Vehicle, Baby このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 はずかしながら。

 わたくしが、作詞・作曲をした歌が、この世に存在していたりします。

 存在しているだけです、流通はしていません。

 そんなこと言ったら、おれにだって、わたしにだってと仰るかたがいるでしょうか?

 一応、my song は、自分以外にその存在を知っている人がいちゃったりします。

 そういう意味で、この世に “存在して” います。“認識されて” いる、と言い換えてもいいかもしれません。

 なんとなく、こはずかしいものですね。いわゆる『真夜中に書いた手紙』でも読まれているようで...。

 存在するって、こっぱずかしいものなのでしょうか。認識されるって...。生きるって...。(以下略)



 さて、先日、友人のライヴを観賞しに行きました。その友人のライヴを観るのは、かなり、ひさしぶりでした。

 なんとなく、なんにも言わないでいきなりライヴを観に訪ねて行って驚かせてみようと思ったのですが。

 わたしのほうが逆に驚かされました。

 その、わたしが作った歌をいきなりうたいはじめたからです。

 最初は、なんの曲か分かりませんでした。なぜなら、旋律が違っていたからです。

 けれど、詞は、わたしが書いた(存在させた・認識させた)そのままの、一字一句変わらないものでした。

 人は、予測もできないことが起こると言葉を失うものなのでしょうか。

 それまでノリノリでライヴを観ていたわたくしでしたが、思わず顔をそむけ、黙り込んでしまいました。

 で、そのまま何事もなく、次の曲へ行ってくれれば良いのに。友人ときたら、その歌の成り立ちを説明しはじめてしまいました。

「さっきの曲は、今そこにいる○○○○(私の名前)さんが書いた曲……の詞だけを頂戴して、勝手におれなりのメロディーをつけました。べつに○○さんの曲がだめってことじゃないんだけど。自分でうたう歌は、自分のメロディーでうたいたかったのでそうしました」

 とかなんとか。

 いやあ、あせりますね。なんの予告もなく、心の準備もなく、自分の隠された過去を暴かれたようで、ひさしぶりに冷や汗をかきました。しかも、びっくりさせようと思った相手に100倍にして返されたようで。やられたという気持ちでいっぱいでございます...。

 ところで、一緒にそのライヴを観に行っていた女性の友人から、

「勝手に曲を変えられたりして。いいの?」

 と聞かれました。

 ふむ。たしかに、ちょっと考えると、失礼な...ということなのですかね?

 でも、なんとも思いませんでした、いえ、むしろうれしく思いました。

 よく、メロディーだけもらって、詞は自分のオリジナルでうたう、というのは聞いたことがあるような気がします。が、その逆、というのは、めずらしいような気がします。

 曲じゃなくて、詞なんだ、というのが意外でもあり、また、だからこそうれしかったのかもしれません。

 わたくしの場合、特にその歌に関しては、一番伝えたいところは、詞です。その詞をうたいたいが為に曲をつけました。ええ、若かりしころ。ああ、はずかし。

 ですから、その歌に関しては、詞を伝える為に、メロディーが、あります。

 もし、詞が大切な荷物だとしたら、メロディーは、それを載せて運ぶ乗り物のようなものなのです。

(で、歌い手は、その乗り物を運転する運転手?)

 まあ、ですから、乗り物がなんであろうと、わたしの伝えたかったこと(=詞)が運ばれてゆけば、それで十分だ、と思うのです。

 伝達方法は違えども、詞は、運ばれてゆくのです。

 そして、日々は続いてゆくのです。

 そんな、秋晴れのある日の出来事でございました。





 # ほんとはね、詞と旋律とが一体となった、もう、それ以外の組み合わせも、それ以上の組み合わせも考えられない楽曲...というのが理想形なんでしょうか?




 ではでは。

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2010-10-01-2°C このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 先日、9/21(月)、高円寺ペンギンハウスにて、知人?、友人?の西山正規のライヴを観ました。パーカッションのかたとの二人編成で、タイトでソリッドな演奏を聴かせてくれました。

(『タイトでソリッドな』w なんだか、ヘタな音楽評論家みたいな表現ですね)

 無駄のない演奏、ほどよい緊迫感がある、というような意味なんですけど。

 そんな演奏と、笑っちゃうような MC とのギャップが緩急をつけてくれて。

 ほとばしる汗と唾液に(?!)まみれながら、あっという間にライヴは終わりました。

 空気があたたかくほぐれたところで、続く対バンのかたがたの演奏もとても楽しく、和やかな雰囲気で、踊り出す人も続出でした。はい、もちろん、わたくしも踊ってしまいました。

 ロックで踊れるってサイコー! シアワセー!! と心から感じる瞬間でございました。

 ライヴに出演されていた皆さん、そして、踊りに興じていた皆さんに共通して感じるのは、ほんとうに、音楽が、ロックが、大好きなんだなということです。

 音楽を愛する。――音楽が嫌いな人なんていない? そうかもしれません。けれど、それを表現できる人というのは、もしかすると、限られているのかもしれません。


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 ロックを愛する表現者、といえば。約二年半前、忌野清志郎さんのライヴを観ました。癌で他界される前の復活ライヴです。ここでそのライヴについて語ると長くなるので。。あえて語りませんが。。

 「バンドに帰って来られて、なによりもうれしい!」

 そう語る姿に心を打たれました。涙が、止まりません。

 (いまにして思えば)いのちを削るようなパフォーマンスだったのかもしれません。それでも音楽を、ロックを、彼を愛するファンの為に、そしてじぶんの為にステージに立つ。

 そんなライヴを体験できたというのは、きっと音楽が巡り合わせてくれたのかな。。なんて思ったりします。ロックが好きで本当に良かった、と思った次第です。


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 さて。いのちを削る、といえば。

 ニホンミツバチの天敵撃退法の話を知っていますか?

 ニホンミツバチは、天敵であるスズメバチが襲ってくると、まず集団でスズメバチを取り囲むそうです。取り囲まれたスズメバチの周囲の温度はやがて46°C以上にまで達するとか。スズメバチの致死温度は約48°C。ニホンミツバチの致死温度は約50°C。このわずかな温度差を利用して、天敵を熱殺してしまうのです。

 ギリギリの、いのちを削る攻撃。わずか2°Cにかける闘い。


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 さて、わたくし、さいきん、みずから楽器を奏でて演奏するようになりました。

 限界点 -2°C、とまではいかなくても(ちょいとオーバーですねw)、アツい演奏ができるようになるといいなあ、と思う。秋の夜長でございました。

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