bluescatの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-04-17People Come, People Go / ゆく河の流れ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

  "ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

  淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。"


 鴨長明(かものちょうめい、かものながあきら)による『方丈記』の、書き出しの一文です。

 流れる河の水が二度と戻らない、常に同じものはこの世には無い、それは「無常」という仏教の言葉と重ね合わせることができるのではないか? ――そんな思いから、この冒頭の文章を書き始めたのではないかと解釈されているようです。

 今回の震災で、さまざまな考え、思想、意見、叫び、呟き、……を見聞きしました。あれ以来、いろんな情報があふれすぎて、自分が流されてしまいそうな、押しつぶされてしまいそうな、そんな不安もあって、なるべくメディアの情報を遮断するようにしていて、そんな中で、ふと、友人から、

「まるで『方丈記』のようだね」

 と言われ、高校生の時の古典の時間以来でしょうか、読み返してみました。

 鎌倉時代、1212年ころに執筆されたというこの作品、かの有名な書き出しで始まり、移り行くもののはかなさを語った後、同時代の災厄についての記述が続き、後半は自らの草庵での生活が語られます。さらに末尾では草庵の生活に愛着を抱くことさえも悟りへの妨げとして否定しています。(Wikipedia 参考)

 短く簡潔な文章ながら、自らが体験した四大災厄についての描写は、まさに今回の震災を思い起こさせるような内容で、何度も読み返してしまいました。

 四大災厄、すなわち、『安元三年(1177年)の都の火災』、『治承四年(1180年)に同じく都で発生した竜巻(およびその直後の福原京遷都)』、『養和年間(1181年~1182年)の飢饉』、さらに『元暦二年(1185年)に都を襲った大地震』を指します。

 ぜひ原文および現代語訳でお読みいただきたいのですが、要約としまして、以下 Wikipedia より転載。



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[安元の火災]

安元三年(1177)四月二十八日午後八時頃、都の東南(現在のJR京都駅付近か)で、舞人の宿屋の火の不始末が原因で出火した。火はまたたく間に都の西北に向かって燃え広がり、朱雀門大極殿・大学寮・民部省などが一夜のうちに灰燼に帰した。公卿の邸宅だけでも十六軒、一般家屋に至っては都の三分の一が焼失した。死者は数十人(『平家物語』の記述では数百人)であった。


[治承の竜巻]

治承四年(1180)四月、中御門大路と東京極大路の交差点付近(現在の京都市上京区松蔭町、京都市歴史資料館の辺りか)で大きな竜巻(長明は「辻風」と記述)が発生した。風は周囲にあるものをあっという間に飲み込み、家財道具や檜皮、葺板などが、あたかも冬の木の葉のように宙を舞った。風の通ったあとには、ぺしゃんこに潰れたり、桁や柱だけになった家が残された。竜巻は市街地を南南西に向かって走り抜け、現在の東本願寺の手前辺りで消滅したものと思われる。


[養和の飢饉]

養和年間(1181-1182)2年間にわたって飢饉(養和の飢饉)があり、多くの死者が出た。旱魃、大風、洪水が続いて作物が実らず、朝廷は様々な加持祈祷を試みたが甲斐なく、諸物価は高騰し、さらに翌年には疫病が人々を襲った。仁和寺の隆暁法印が無数の餓死者が出たことを悲しみ、行き交うごとに死者の額に「阿」の字を書いて結縁し、その数を数えたところ、養和二年四月・五月の左京だけで、四万二千三百余に達したという。なお、この飢饉は福原遷都や、源頼朝源義仲をはじめとする各地での武力蜂起とその追討の影響によって拡大した面があるが、方丈記にはその点は触れられていない。


[元暦の地震]

元暦二年(1185年)七月九日、大きな地震が都を襲った(文治京都地震、地震の年表#日本参照)。山は崩れ海は傾き、土は裂けて岩は谷底に転げ落ちた。余震は三ヶ月にもわたって続いたという。

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 元暦の地震は、推定でマグニチュード7.4ほどの規模であったといわれているそうです。

 800年以上も前から、いえ、それよりもずっとむかしむかしから、本当に日本というのは地震と、台風と、もろもろの天災の多い国なのだということが分かる描写です。

 自然とたたかってきた、というより、自然とともに共存し、時に自然に打ちのめされ、それでも負けずに立ち上がってきた日本人。

 今歩いていたかと思えば、いきなり倒れてしまう。朝には存在していたものが、夕には姿を失う。一瞬として同じ形でとどまるものなどない。度重なる災害からそんな無常観を、無意識のうちに持ちながらも、不屈の魂で乗り越えてきたからこそ、いまこうして、ここに、私(たち)がいるのでないか。と考えるのです。

 被災されたかたがたの為に、傷ついた人たちの為に、私(たち)は、何ができるのか?

 思うに、一人で何億円も寄付することはできなくても、ボランティア活動に参加することはできなくても。自分の人生を一生懸命、生きること、それが私(たち)にできることなのかなと思うのです。はかなく未来を奪われてしまった人たちの分、今日を、明日を、一生懸命、生きていくこと。そうして、いつか遠い未来、2011年に大地震があって……と語られたとき、不撓不屈の魂で乗り越えたのだと、伝えられたらいいなと思うのです。










 BGM:

 Barry McGuire - 'Eve of Destruction'

 P.F. スローン作、バリー・マクガイアによるプロテスト・ソング。

 邦題は「明日なき世界」。

 RCサクセションが『カバーズ』でカバーしていたり、Johnny Thunders がカバーしていたりしますね。

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