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2007-11-19地の色

[]地の色 地の色 - bluescatの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 地の色 - bluescatの日記 地の色 - bluescatの日記 のブックマークコメント


 先日、電車の中で、『人は見た目が九割』という本を熟読している女性を見かけました。一見したところ、あまり見た目には執心されていなそうな、いたって“カジュアル”な出で立ちのかたのように思えましたが。何かあったのかしら? ……などと想像してしまいました。


 さて。すっかり秋ですね。というか、まもなく冬ですね。夏生まれの夏大好きッ子(w としては、寒いのは苦手なのですが、街中の人たちの冬のおしゃれを観察するのは楽しかったりします。黒のファッションが極まってる、とか、赤いコートが似合ってる、とか、冬に全身真っ白、ってのもなかなか着こなせないわよね、とか。あ、わたくし、身なりで人を判断する、ということはない(はず)のですが、その人の持つ“色”というのを見ることが良くあります。

 その昔、『カラー診断』なるものを受けてからは、特にそうかもしれません。友人の友人なのですけれど、カラー・コーディネイターというのをしている人がいまして。肌の色、髪の色、瞳の色などから、その人にもっとも似合う色調を季節感で大別した四つにグループ分けで診断してくれるのです。例えば、身にまとう人によっては、同じ『ピンク』でも、スモーキーなサーモンピンクとくっきりしたフューシャピンクとでは、まったく印象が異なるそうなのです。その人の持つ『ベースカラー』に似合わない色調の衣服を身に着けたり、メイクをすると、それだけで顔色が悪く見えたり、老けて見えることがあるそうで。逆に、自分の『ベースカラー』に合った色のものを身につけると途端に生き生きとして見えたり、肌もきれいに見えるというのですから、不思議ですよね。

 それぞれの季節の色は大まかに下記のようになるようです。


 春春の花のピンクや黄色、新緑のイメージ、若々しい。明るい。愛らしい。キュート。誰からも好かれる色調。パステルピンク、レモンイエロー等。
 夏やわらかく涼やかさのある色。さわやか。エレガント。青系の色。白・グレー等。
 秋秋の山や木立のようなイメージ。落ち着き。大人っぽい。シック。パリジェンヌのような洗練された、小粋な感じ。クラシック。ゴージャス。ゴールド、オレンジ、茶系、グリーン系等。
 冬深くて鮮やかな色。インパクトのある色。都会的。シャープ。黒、ネイビー、パープル、クリムゾンレッド等。


 なお、自分のすきな色や自分で似合うと思っている色が、自分の『ベースカラー』であるとは限らないそうで……。プロに診断してもらうと意外な発見があるかもしれません。

 ちなみにわたくしが診断された季節は、奇しくも以前から好んで着ていた色と合致しました。無意識に似合う色というものを自覚していたのかもしれません。いや、似合わない色を排除していった結果かもしれませんが。


 で、色、というと、以前このブログで、音楽にも色があるという話をしましたっけ。

 『[movie]:色覚するということ。:デイヴィッド・リンチ

 “色”のある、“色”を持っている音楽が、すきです。そのアーティストの持つ『ベースカラー』がくっきりと見えるものが、とてもすきです。

 でも、ときどき、『ベースカラー』が見えないものに惹かれることもあります。はっきりとした分別ができないものに。例えば、ですけれど、バンドでメンバーが複数いて、それぞれが独自の個性を放っている場合。ビートルズ、とか。私の中のイメージでは、ジョン・レノンさんは、冬。ジョージ・ハリスンさんは、秋。リンゴ・スターさんは、夏。で、ポール・マッカートニーさんは、春、ですね。もちろん、異論のあるかたはいると思います。半ば無理やりこじつけているというのも認めます。メンバーそれぞれが強い『ベースカラー』を持っていたこと、それが魅力だったのかもしれない、なんてふいに思った、ということなのですけれど。どうですか?


 ああ、それから、今、私、トルーマン・カポーティーの『冷血』を読んでいるのですが、この作品のように一切狂いのないような精緻な文体や、『ミリアム』、『夜の樹』、『夢を売る女』等の都会に生きる孤独な人々の内面を冷ややかに描写した作品は、まぎれもなく、“冬”のイメージです。けれども、『誕生日の子どもたち』のように幸福で、ちょっと残酷な子ども時代を描いた作品は、同じ冷ややかさでも、もっと乾いた、もっと枯れたイメージです。同じ人のなかにも、はっきりと分別できない“カラー”を有していることがあるのかもしれません。


 さて。あなたはどんな“カラー”がすきですか? 自分ではどんな“カラー”を有していると思いますか?











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agricoagrico2007/11/19 19:56こちらは大雪の朝、いきなり真冬になったような一日でした。雪というのは色彩を隠す反面、微かな色合いでも際立たせる独特の効果を持ちます。これはとても象徴的ですね。つまり着飾れば着飾るほど、色が効力を失くしてしまうようなところがあるのかもしれません。
とかく「人にどう見られるか」または「見せる」ということがクローズアップされる風潮にありますが、その反面自分の帯びる色というのが本人にはますます見えにくいものになっている。そのもの本来の色を感じ取れれば、見かけや見せ掛けに惑わされることは少なくなりますが、でもそんな人は確かに、10人に1人くらいかもしれません。
服というものをここ何十年も買ったことがなく、人のお下がりや頂き物を着て過ごしてきた私は「作られた色」というのにいつもある種懐疑的なものを持ってしまいますが、だからなのかもしれませんね、人にも物にも、身に着ける以上に鮮烈な色合いを感じてしまいます。それがもしかして、ここで言うベースカラーなのかもしれません。色と音も、色と存在も相互リンクし合ってるというのは面白いですね。

bluescatbluescat2007/11/21 00:41agrico様、こんばんは。ご無沙汰しております。
コメント有難うございました。
東京でも昨日から急に冷え込み、一気に冬になってしまったようです。
『ファッション』に関して、毎年もしくは毎シーズンのようにトレンドの色というものがあり、街中にはその色があふれかえるようになりますが、流行色を身にまとうことばかりに気をとられすぎて、その色が本当に自分に似合っているのか分からなくなることは往々にしてありえるかもしれません。
また、音楽や映像や文章等の表現にもその時時のトレンドがありますが、自分のベースカラーに合っていないものに走っても、まるで似合っていない服を身につけているようになり、消費されて終わってしまうということになるのかもしれません。
無意識にか意識的にかはともかく、背景に調和した色合いを持つ表現に触れていけたらいいなあと思っております。

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2007-09-03割れ窓理論:Broken Windows Theory

[]割れ窓理論:Broken Windows Theory 割れ窓理論:Broken Windows Theory - bluescatの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 割れ窓理論:Broken Windows Theory - bluescatの日記 割れ窓理論:Broken Windows Theory - bluescatの日記 のブックマークコメント


 人生は、過酷だ。されど、芸術はたのし。

 人生を過酷でないものにするのは、骨の折れることだけど、それは、偉大な芸術にもなりえる。

 開いた窓は見過ごせ。それは、生き抜くことと同じだ。


 Life is serious, but art is fun.

 It is hard work and great art to make life not so serious.

 Keep passing the open windows.That means keep on living.


 私のすきな映画、『ホテル・ニューハンプシャー』における台詞。

 ……って唐突なのだけど。

 『ホテル・ニューハンプシャー』は、『ガープの世界』等を書いたジョン・アーヴィングの同タイトルの小説を映画化したものである。

 次から次へ降って湧いたような不幸に見舞われる一家。だが、悲壮感はない。哀しいのに、どこか可笑しくもある。悲劇的な瞬間を受け流しながら、自らの人生を肯定し、残された家族で支え合って生きていこうとする姿は清々しささえ感じさせる。不思議な映画だ。

 初めて観たときには、「開いた窓」が意味するものが良く分かっていなかったのだが。


 (窓から飛び降りて)死んでしまった人のことは、哀しいけれど、気にするのはやめよう。これから先も、あの開いた窓から何が起こるか分からない。けれど、ぼくたちはただ通り過ぎていけばいい。残されたぼくたちは、じぶんの人生を生き抜くんだ。


 ――そんな感じの意味だろうか。何が起こるか分からない、人生の深淵、のような意味かもしれない。

 なんとなく、誤解を生みそうな気もするけれど。

 時と場合に依るとは思うが、他人は他人、自分は自分。内は内、外は外。という考え方にヒントを得ることもある。


 開いた窓は見過ごせ。――そうだね。見過ごすことも、大切。


 でも、『割れた窓』は見過ごすな。――これは、私の持論である。


 これを言いたかったが為に、長い前フリをしてしまった。

 なんのことか、というと。

 なんだかここ数日、このブログ(のようなもの)に、多数のスパム・コメントが。

 ついに来たか。というくらいで、スパム・コメントくらいでたじろぎはしないのだが。スパム・コメントなどに振り回されるのは嫌なので、本当なら放置したいくらいだ。一度狙われてしまったら、幾ら消しても、どうせすぐにまた別のスパム・コメントを残されるに決まっているし。いたちごっこだろう。消しても消しても、際限なく。

 ――それでも、出来る限りスパム・コメントは『残らない』ようにしなくてはならない。「ならない」って、使命みたいな言い方だが。やはり、「そうしなくてはいけない」のである。


 割れ窓理論、というものがある。


 「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」

 Wikipedia - 割れ窓理論より


 ニューヨーク市は、この理論に基づき、犯罪の芽を早めに摘み取ることで犯罪率を激減させ、『犯罪都市』 の汚名を返上した、という。

 スパム・コメント、スパムトラックバックは、ある意味、『割れ窓』のようなものだ。このブログ(のようなもの)を読みに来てくださっているかたに、手入れがされていないブログだ、管理人はだらしがない……という不快感を与えるかもしれない。こんなところ、もう来たくない、と思われてしまうかもしれない。そして、そんな『割れ窓』が、『目印』のようなモノになって、別のスパム業者からも狙われやすくなるかもしれない。そうならない為にも、『悪い芽』は早めに摘み取っておくべきだろう。例えいたちごっこだとしても。

 自分のサイト、自分のブログを守るのは、結局、自分自身か。




 なぜ、スパム屋に狙われるのかなんて、分からないけれど。今日もせっせと、スパム・コメントを消す、私。




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akky20050605akky200506052007/09/03 06:50グループメンバーのアッキーといいます。はじめまして。
もしかすると余計なお世話かもしれませんが、しばらくの間、コメント投稿をはてなユーザーに限ってみてはいかがでしょうか。「詳細設定」で選択できますよ。

bluescatbluescat2007/09/03 22:54アッキー様、こんばんは。はじめまして。
なるほど、そのような機能があったのですね。
早速切り替えてみました。これでしばく様子を見たいと思います。
ありがとうございました!

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2007-08-25なつやすみのにっき3

[][]「決して暴力はふるわない。大切なものがあるから。」に潜むもの 「決して暴力はふるわない。大切なものがあるから。」に潜むもの - bluescatの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「決して暴力はふるわない。大切なものがあるから。」に潜むもの - bluescatの日記 「決して暴力はふるわない。大切なものがあるから。」に潜むもの - bluescatの日記 のブックマークコメント


 夏休み、四日目、五日目。それぞれ、遠出して山に登ったり船に乗ったり、近場をウロウロしてシャガールの絵を鑑賞して涼んだり……。この辺りの話を書こうと思っていたのだけど。また別の機会にでも。

 翌日は、通常通り出社して仕事をした。せっかく取った休みを返上して、フツウに出社して、フツウに仕事して、フツウに帰宅するというのも、なかなか痺れるものだ。いつもと同じようにつかれた身体をひきずるようにして表参道をとぼとぼ下って、原宿駅に向かって。

 人気のない深夜の原宿駅改札を抜け、ホームへ降り立つ階段を下りてすぐのところに貼り付けてあるポスターが、目に留まった。ちょっと前から、その存在に気がついていたのだけど。なんとなく違和感を覚えながらも、その理由が分からず、というか、深く考えもせずにいて、その日もいつもと同じように通り過ぎようとしていた。が、ふっ、とした拍子にそのキャッチコピーの意味に気がついて、ガクゼンとした。

 それは、こんなポスターである。


f:id:bluescat:20070825230023j:image

[鉄道事業者による共同PR暴力行為防止ポスター]


 定期入れのようなものに、赤ちゃんの写真が入れてあって、その写真を見つめているのであろうという構図。

 キャッチコピーは、こうだ。


「決して暴力はふるわない。大切なものがあるから。」

「駅や車内での暴力行為は犯罪です」


 このメッセージに恐怖を抱きはしないだろうか? 私は、このように解釈した。


 駅構内で暴力をふるう

  ↓

 傷害罪で逮捕される

  ↓

 犯罪者になる

  ↓

 大切な家族が悲しむ

  ↓

 だから暴力はやめましょう


 自分かわいさ、自分の身内かわいさにつけ込もうというメッセージであって、自分が傷つけた「被害者」に対しては全く着目されていないのではないか。

 この記事を書くに当たって、ポスター画像を探していた際に、東京都庁のサイトに行き着いたのだが、そのサイト内での記載では、図柄イメージをこう説明している。


 可愛らしい乳児の写真を用いることで、自分と被害者の大切な家族や仲間のためにも、決して暴力を振るってはいけないことを伝えています。

http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2007/07/20h7b100.htm


 一応、被害者の「家族」も考慮されてはいるようであるが、相手が受ける「痛み」にはいっさい触れていない。この想像力の足りなさ。そして、『駅や社内での暴力行為は犯罪』だというコピーから窺がえる、喧嘩なら余所でやってくれとでもいうような、責任逃れ的姿勢。なんなのだろう? この薄気味の悪さ。

 逮捕されなければ、罪を問われなければ、いくら暴力をふるってもいいのか。「大切なものがあるから」というが、じゃあ、「大切なもの」がなけりゃあ暴力をふるっていいのか。という疑問に行く着きはしないか。

 例えば、自分には大切な家族などいない、と思っている人。例えば、自分には地位も名誉もない、と思っている人。ここでは、「思っている」というのを強調したい。自分でそう思っている人というのを。そんな人たちにとって、このメッセージが意味するものはなんだろう?


 どうせ、おれにゃあ、妻もかわいい子どももいない。どうせ、おいらには失うものなんかなにもありゃしねえ。


 心の中でそう呟き、暴力をふるう機会を虎視眈々と伺う「誰か」。電車の中だから、駅構内だからと振り上げそうになって収めた拳の行き先を求めて彷徨う「誰か」。暗い夜道を歩きながら、もし、そんな「誰か」が、自分を待ち受けていたら。と考えると、こわい。

 家に帰れば帰ったで、

「今日、本当は殴り倒したい奴がいたんだけど、お前の為に、殴るのはやめておいたよ」

 ひっそりと心の中で呟き、不気味に微笑む父や兄がいたら。なんて想像すると、どうも。

 憤りというよりも、気味の悪さを感じる。嫌悪感といってもいいかもしれない。相手が受ける「痛み」への想像力の欠如に。暴力行為によって傷つくのは、自分の名誉と自分の家族(相手の家族)だけではないだろう。大切なものを失わない為に暴力をふるわない、というのではなく、もっと違う訴え方はできないのだろうか。こんな訴え方をしなくてはならないなんて。こんなポスターが、何食わぬ顔をして、あらゆる駅に貼り付けられているなんて。そんな社会の在り方に疑問をいだく、夏休みの終わりであった。




 公衆の面前での暴力が犯罪なのではない、暴力をふるって見咎められることが犯罪なのではない、暴力、そのものが罪なのだ。











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2007-08-01「ぼくブログ嫌いなんです。」:彼がブログを嫌いだという二、三の理

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f:id:bluescat:20070722212440j:image

ブログ - Wikipedia -



 --- 「「ぼくブログ嫌いなんです。」:彼がブログを嫌いだという二、三の理由・前編」


 長くなりそうだったので、前・後編に分けてみたのだけれど。

 「ブログが嫌いだ」、という、ヘンな、同僚のハナシ。 以下、後編。




◆「プロじゃない人の書いたものなんて、読む価値がない」?

 さてさて。

 「ブログ嫌い」 宣言をする 『彼』 にその理由を尋ねたところ、「ブログなんて、くだらないことしか書いてないじゃないですか」 と言われ、あ然とする私であったが。 そんな私を尻目に、さらに驚くべき発言がなされた……。


「プロでもなんでない人が気安く文章を書いて、それを世に晒したりしちゃいけないと思うんです」


 ……。

 申し遅れていたのだけれど。 私たちが勤めている会社は音楽に携わる業務を行っていて。 『メジャー』 レーベルからCD等の作品を発表している 『プロ』 のミュージシャン・歌手・クリエイターと深く深く関っている。

 『彼』 としては、きっと、そのことを誇りに思っているに違いない。

 自分は、選ばれし 『プロ』 の作品を扱う、選ばれし者なのだ、とでも。

「素人の書いたものがあふれると、レベルが下がるし。 読む価値のあるものが埋もれちゃうじゃないですか」

 とまで言う始末であるからして、『プロ』 ということに異常なこだわりを示しているのである。

 ……ええと。 とすると、


  『プロ』 が書いたもの = 価値がある

  『プロ』 じゃない人が書いたもの = 価値がない


 ということになってしまうのだろうか? 表現というものは、そんなにはっきりと二極化できるものだろうか?

 どんな人にだって、アマチュア時代がある、と思うのだけど、現在プロとして活躍されているかたのアマチュア時代のものは価値がないとでもいうのだるうか?

 例えば、限りなくプロに近いアマチュア――いうなれば、『プロ予備軍』 のような人もいるけれど、それはどうなるのか?

 また、かつてはプロでありながら現状はアマチュアとして活動している人もいるけれど、同じ人のものでも、プロとして発表した作品には価値があるが、アマチュアとなった途端に価値がなくなってしまうのだろうか?

 ……というものすごく当たり前な疑問が生じる。

 なんらかの形でプロとして認められた人の作品は、やはりそれなりに優れているとは思うけれど、だからって全部が全部面白いとは限らないし(ギャー、本音)、アマチュアの作品だからって面白くない、劣っている、とは限らないのではないか、……って、とってもとっても当たり前に思うことのような気がするのだけれど。

 「レベルが下がる」? ―― 下がらないようにするのが 『プロ』 としての役目であり、それを支えるのが我々の仕事なのではないだろうか?

 「埋もれちゃう」? ―― 埋もれてしまうような作品ならば、所詮それだけのものなのではないのだろうか?




◆『小さな』 アクション

 たとえば。 巷で話題の、リア・ディゾンさん。

L・O・V・E U(初回限定盤)(DVD付)

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 「グラビア界の黒船」 なんて言われているこのかた。 聞くところに依ると、デビュー前に自身の個人サイトにアップした写真がきっかけでデビューとなったそうな。 なんでも、アップされた写真のあまりにも可愛らしい笑顔が評判となり、一目見たいとサイトを訪れる人が殺到。 こと日本からのアクセスが多く、ファンが投げたコメント 「日本においでよ」 の言葉に触発され、来日。 そして、日本でデビューするチャンスを掴んだとか。

 なにがどう人の運命に働くかなんて分からないものである。


 たとえば。 “アコーディオン弾き語りシンガーソングライター” の中山うりさん。

DoReMiFa

DoReMiFa

 このかた、かつてはPC配信のみで作品を発表する 『非メジャー』 アーティストだったそうなのだけど、オリジナリティあふれるパフォーマンスが評判を呼び、「配信の女王」 「アコーディオンを抱えたシンデレラガール」 と大きな話題に。 iTunes Store 日本の Jazz 部門でも、『メジャー』 アーティストを抑えて売上げランキング一位を記録したとか。 その評判を受けて、CD作品をリリースし、『晴れて』 メジャー入りを果たしたそうな。

 なにがきっかけとなってプロになるかなんて、分からないものである。


 ……って、これらの例は、あまたある 『デビュー秘話』 のうちのほんの一握りに過ぎない。

 見渡してみれば、いろんな人が、いろんなきっかけでプロへの道を切り開いている。アマチュア時代のさまざまな経験を経て。

 『小さな』 アクションが、どんなふうに転がっていくかなんて、だれにも分からないことであり、だからこそ面白いのであるが。

 それでも 『彼』 は、『非メジャー』 を否定するのだろうか?




◆プロの限界、アマの無限?

 「「ぼくブログ嫌いなんです。」:彼がブログを嫌いだという二、三の理由・前編」 において、ブログというものがここまで幅広く認知された理由として、「面白いブログがあった (ある) からではないか」 と述べたが、もう一つ、思うところがある。

 それは、「いわゆるプロの書いたものにある種の限界を感じる向きがあったからではないか」、ということだ。


 例えば、著名な雑誌・サイトの 「ケーキ特集」。

(男性は、「ケーキ」 を 「ラーメン」 にでも置き換えるといいかも?)

 美味しいと評判のケーキ屋さん、行列のできるケーキ屋さんが、プロのライターによるコメントと見目麗しい写真とともに紹介されてたりなんかして。 わーおいしそうと買いに行ってみるのだけれど、評価ほど美味しくないじゃん、並んでまで買うほどじゃないじゃん……なんてことが結構あって、がっかりすることがある。 期待しすぎ?

 こういうとき、お金や利害のニオイをプンプン感じてしまうのである。

 もちろん、ちゃんとした特集もあるだろうし、味覚というのは人それぞれなので、好みに合うかどうかは、実際に食べてみないと分からないというのも確かなのだけれど。

 でも、某 AskU, 某 Livedoor グルメ、某 食べログ 等々の、いわゆる 『口コミ』 サイトが人気となったのは、『素人』 がなんの損得もなしに 『気安く』 述べた感想のほうがよっぽど信頼できると思う人が多数いたからではないか、という考え方ができないだろうか。

 利害のニオイのプンプンするような 『信頼できない』 プロによる情報に対価を払うなら、ネット上で無償で公開されている情報で充分だ、それよかよっぽど参考になるし面白いじゃん、という風潮が高まったのではないか、と。

 プロにしか書けないこと、もあるけれど、アマチュアだからこそ書けること、もある。

 『メジャー』 に幻滅した人たちが、自らブログを立ち上げるようになって。 個人ジャーナリズムが台頭し、企業やプロのジャーナリストを脅かすまでになった。 マーケティングにおいては、『Web 2.0』 で定義されている 「ロング・テール」 なるものが見込めるまでになったのはご存じの通り、かしら。


f:id:bluescat:20070801233611g:image

[ロング・テールの概念図]




◆逆向き作用した流行

 静的なウェブサイトに替わる情報発信手段として、『アマチュア』 によって生み出され、進化を遂げた 『ブログ』 というツール。 最初は個人ジャーナリズムでしかなかったはずである。 そのツールを、今では、プロの作家やジャーナリスト、ミュージシャンから果ては企業の社長までが、『公式なサイト』 としてフツウに使っている。

 プロの作家が、『非プロ』 のブログの記事を盗作した、という話題も記憶に新しいけれど。

 『プロ』 から 『アマ』 へ、ではなく、『アマ』 から 『プロ』 へ。

 プロから仕掛けられるのでなく、『アマチュア』 自らがムーブメントを起こした。

 下流から上流へ、流れが逆向きに働いた顕著な例の一つではないだろうか。

 それでも、『彼』 は、「ブログなんて、くだらない」 というのだろうか?




◆驕りと怠慢

 因みに 『彼』 は、同じ理由で YouTube 等の投稿動画サイトも大嫌いだと言う。 素人の作った動画など……、という気持ちでいるらしい。


「やつら (投稿者?) に、こっち (プロ?) の領分が侵されている」


 と。

 だ・か・ら。 簡単に侵されるようなものなら、大したことがないのだって。

 投稿動画サイトが人気となったのは、プロの驕りと怠慢が生んだ結果なのかもしれない、と受け止め、精進していかなくてはいけないのだよ。

 やっぱりプロが作っただけあって面白い。 さすがはプロの仕事だ。 そう思われるものを創造していかなければいけないのだよ。

 ……っていうか、創造しているのはアーティストであって、キミ自身ではないでしょうが。

 我々の仕事は、優れたアーティスト/作品を発掘すること、そしてそれを世に広める為のお手伝いをすること。 ただそれだけでしかないのに。 思い上がるのもいい加減にしてもらいたいものだ。 ……と腹が立ちすぎて、なんの反論もできなかったことが口惜しい。 私が何も言わなかったことで同意を得た、と思っているのかしら。 ああ、いやだ。

 『彼』 に言わせれば、取るに足らない、埋もれてしまうようなかすかな 『呻き』 でしかないのかもしれないけれど。

 このかすかな 『呻き』 が、ウェブの網を通じて繋がって。 少数でも共感をいだく人がいてくれれば、本望である。






 そうそう、余談だけど。

 『彼』 はその後、なんの挨拶もなしに突然会社へ来なくなり、電話をしても一切出ず、向こうからも連絡をよこさない、というナゾの挙動に走っておしまいになった。 その後、彼の姿を見たという人は誰一人として、いない。


 いきなりプッツン (死語か) して、会社に来なくなるなんて、小学生か。 自分勝手で職場に多大な迷惑をかけるような人が、『プロ』 意識だなんて。 お笑い種である。 と思ってしまったのは、もう、とおい、過去のこと。











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bluescatbluescat2007/08/02 00:36(ブログ主コメントです)
間違えて、自分で☆を追加してしまいました...。
☆を消す方法はないのですね...。

namgennamgen2007/08/04 10:43☆は消えないですよw。読ませていただきました。私はあなたも御存知のようにgooでは2年ぐらい書いてました。そしてはてなはもう足かけ4年です。ブログに於いてプロかアマかの線引きは微妙に難しいですね。「日記」ということにしておけばそれだけでしかありませんし、コミュ・ツールだと言えばそれだけでしかありません。webというものはそれだけの意味しかもちません。私は意外とそのあたりの見方は冷徹に見ています。私はブログというものの繋がりを試みるものとして既に御存知だと思いますが別にRingというものも主宰しています。いわばそこはプロもアマも混在しているわけですが緩い繋がりの中でこのwebを或る意味ではクールに見ている者達だとも言えます。メンバーの中には音楽関係の世界の方もいるし詩人や翻訳者、大学教授も居ますし、その他多彩であるとも言えます。メジャー非メジャーも含めてですがあまりプロアマという意識は互いに持っていないとも言えます。たぶんリングを構成しているものは手応えのある他者に触発されたいという淡い願望が繋がりを支えているのではないかと思っています。ブログ文と表現された世界(たとえば言語というものを使うにしても)とは表現の手法という点で全く識別されるものを持っていると思っています。twitterなんかの中ではそのあたりのことが晩御飯のオカズはなにかということのほかによく話し合われるんですが意外とみんな淡々としていますね。

bluescatbluescat2007/08/04 17:45namgen様、こんにちは。
コメント、有難うございます。
なるほど...。そうですね。
プロとかアマとか線引きをしたがっているのは、古い業界体質に染まった記事中の『彼』(や私)くらいなのかもしれませんね。
ウェブにおいては、垣根が取り払われ、同じフィールドで物言いできるところが面白いのかもしれません。
Ring の皆様の記事も拝読しています。まさに繋がっていくところが、きょう日のウェブという感覚で興味深いです。
> 意外と淡々
というのは、ウェブの混沌をくぐり抜けてきた皆様だからではないでしょうかと想像いたしました。
ウェブという双方向メディアの中でどのように相乗作用していくのか、という繋がりは持ちつつも、互いに依存するのではなく、馴れ合いな関係性を築くのでもなく、一個の表現者として確立しているのではないかと。
私はブログを一年足らずやって、その後ずっと遠ざかっていたので浦島太郎状態、はてなダイアリーも謎だらけ、で、必死な状態wです。

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2007-07-22「ぼくブログ嫌いなんです。」:彼がブログを嫌いだという二、三の理

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◆『ブログ大国』

 7/19 配布号の 『』 に 「世界のブログのなかで日本語がダントツ1位! その理由は?」 という記事が掲載されていた。

 ブログ検索会社のテクノラティ(米)の調査によると、世界には約7000万のブログが存在し、1日あたりの投稿数は150万。そしてそのうち、日本語のブログ投稿数は全体の37%を占めていたという。2位は英語で36%。これはスゴいことだ。世界で一番ブログが書かれている国は、日本なのだ。

 とのこと。どうやら、日本は 『大国』 のようだ。

 記事によると、投稿数が多いのは、携帯電話で投稿できることが大きな要因のひとつではないかとの見解が。

 やっぱり、、なのだ。

  や 『』 等が流行した (している) のも、日本独自のケータイ文化にマッチしたという見方があるが、さらになるほどと頷けるようになった。



◆「ぼく、ブログって、嫌いなんです……」

 で、掲題の件。

 ちょっと以前の話になるのだが。会社の同僚で、変わった男の子がいた。といっても、年齢を聞いたことがない為、実際に幾つなのかは分からないが、おそらく20代後半くらいであろうと思われる。 『』 と呼べるような年齢ではない、ということは百も承知だが、子どもじみたところのある人だったので、私の中では、『男の子』、に違いなかった。

 昼食に誘われたので、なんとなく、一緒に食事をしたのだが、非常に気難しい人で。どうも会話が弾まない。気心の知れていない人との沈黙というものが耐えられない私は、気を遣って、当たり障りのないような話題やら興味のありそうな話やらをふってみたりして。誘われたほうの私がなぜ、こんなに気を遣わなきゃいけないのか? わたしゃ、ホステスか、と、だんだん腹立たしくなりつつも、いっしょうけんめい、話しかけたり。

 途中、なぜか、ブログの話題となり、私が、

「ああ、そういえば、わたしも以前はブログ (このブログではないブログ) をやっていて、更新するのが大変でしたけど、楽しかったですよ」

 と言ってみたところ、突然、まるで、ふいにゴキブリでも見てしまったみたいな、ひどい嫌悪感をありありと示して、

「ぼく、ブログって、嫌いなんです……」

 とのたまった。

 これまでいろいろヘンな人と出会って、いろいろ話をしてきたが、そのときは、ひさしぶりに、目が点になる、という失態を晒してしまい、そのことが悔やまれる私である。



◆「ブログなんてくだらない」

 さて、一瞬、目が点になってしまった私であるが、これだけブログというものが普及している中で、「ブログが嫌い」 だとのたまう人というのは、逆に興味が湧いてくる。

 気を取り直し、ブログの何が嫌いなのか、なぜブログが嫌いないのかを問うてみた。

 彼曰くは、こうである。

「だって、ブログなんて、くだらないことしか書いてないじゃないですか」

 彼の言う 『くだらないことしか書いていないブログ』 というのは、いったい何を指すのか。 推測の範囲でしかないが、おそらく、冒頭の R25 の記事でも触れたように、携帯電話からの投稿、いわゆるというものが敷居を下げたことで、個人のつぶやき、独り言、私的メモ、のようなものが増えたように思うのだが、もしかすると、その、日常のなんでもない 「つぶやき」、それのことを指しているのかもしれない、と思った。

 ここで断っておくが、モブログで投稿されたものがすべて 『くだらない』 と言っているわけではないし、「つぶやき」 すべてが 『くだらない』 と言っているわけでもないので、ご了承のほどを。

 膨大な数の 「つぶやき」 のなかには、やけに心に残るもの、ひっかかるものがあったり、思わずぷっと吹き出してしまうものがあったり、心なごむような一場面が想像できるものがあったりして、たまに覗いてみると楽しいものである。 また、友人・知人のブログを読んで、なんでもないつぶやきから近況が分かり、安心する、なんてこともあるし、自分の贔屓にしているミュージシャンや芸人さん、作家さん――まあ、いわゆる著名人のブログを読んで、ちょっとしたことでも更新されているとうれしかったりすることだって、あるのだ。

 彼が言っているのは、おそらく、暇つぶしがてらに書き込まれた、一、二行の、


「おなかすいた。

おにぎり食べたい」

とか

「これからバイト。だりー」

とか

「今超ヒマー。だれか遊んで」


 というような、インターネットという全世界に開かれた場に発信するには、あまりにも個人的すぎるような短文のことを指しているのかもしれない。 携帯電話で文字を入力するのは大変なので短文になりがちだし、画面が小さいから一、二行でもそれほど情報量が少ないという気がせず、ついつい、短い 「つぶやき」 をポストしてしまうのかもしれない。 そういう意味で携帯電話での投稿を例に出した。

 あるいは、彼の言うところの 『くだらないブログ』 とは、ネットで検索すればすぐに出てくるような情報をそのまま垂れ流しているようなもののことであろうか。 確かに私も、こういうブログを読みに行くことはほとんどないが……。

 しかし、それらは、多数あるブログのなかの一部分であって、ブログの全てではない。もし、それだけで 『ブログなんてくだらない』 と決めつけているとしたら、あまりにも短絡的すぎはしないだろうか。

 これだけブログというものが普及するようになったのは、もちろん、開設・投稿しやすい環境が整ったことが原因の一つとして挙げられるが、やはり、『おもしろいブログ』 がある (あった) からこそ、それらに牽引され、認知された為ではないかと思うのである。



◆玉石混交

 インターネットにおける情報発信のひとつとしてブログという形式が流行している今、玉石混交となっているのは事実だろう。 しかし、それは、ブログに限ったことではない。 音楽にしても、文学にしても、なんにしても、人気のあるもの、ジャンルはそうなってしまうのは仕方のないことではないか。

 たとえば、今、音楽には、細分化されたさまざまなジャンルがある。 ポジティブ・パンク、ポストモダン・ポップ、エレクトロ・クラッシュ、ジャーマン・プログレ、フレンチ・ボッサ、カリビアン・ビーツ、等々、もはやワケが分からないが……。 いろいろな音楽を聴いていく中で自分の好きな音楽がだんだん、分かっていく。 そして、そのジャンルの中でも特にじぶんのお気に入りのアーティストというものが分かってきて。 自分はこういう音楽がすきなのだ、聴きたいんだ、という意識でいると、自然とそういった音楽が、向こうからやって来るものである。 ――これは私の持論である。 注意深く、耳を澄ませていれば、自分の好きな音楽というものが、自然と聴こえてくるものなのだ、と。

 本や映画なんかもそうで、自分の好きなもの、というのを意識していれば、自然とそういうものに出会うようになっているのである。

 だから、もし、彼が、本人のいうところの 『くだらないブログ』 しか目にしたことがないとするなら、それは、


「アナタ自身がくだらない日常を送っているのだ!」


 なあんて言ってみたくなったり、ね。

 人それぞれだから。 『くだらない』 からと読まない選択をするのは、その人の自由だ。 もしかすると、何か他の 『くだるもの』 に情熱を傾けているのかも?

 でも、『ブログなんてくだらない』 という言い草をするよう彼が、やっぱりヘンだ、と記事に書かずにはいられなかった。

 もっとも、この後さらに 『ヘン』 な発言をされるのであるが……。



◆「プロじゃない人の書いたものなんて、読む価値がない」?

 以降、『後編』 にて。











 ※先日の記事、「声をあげよ。:MAKE SOME NOISE 」 にてご紹介した iTunes Store の 『Instant Karma: The Amnesty International Campaign to Save Darfur』 は iTunes 限定のオリジナル商品であることに後で気がつきました。

(CD商品の 『Make Some Noise: The Amnesty International Campaign To Save Darfur』 よりも6曲多い、全34曲入り。それでも高いと思うけど、ね……)

 訂正してお詫びいたします。




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照2007/07/30 12:28後編マダ?(^^)

bluescatbluescat2007/08/02 00:16照様、こんばんは。
先週末は、FUJI ROCK FESTIVAL に行っていた為、記事を書くのが遅くなりました。(嘘です)
後編へ続く……などと大風呂敷を広げてしまって、後悔の念に苛まれながら、なんとかアップいたしました。
ご一読いただければ幸いです。

ショボンショボン2013/01/31 17:39ブログがくだらないというか、悪口・罵詈雑言・スパム・コピーばかり書き連ねたブログがあまりに多すぎるのです。

2007-07-09タイトルのつけ方:緑炎の彼方

[]:タイトルのつけ方:緑炎の彼方 :タイトルのつけ方:緑炎の彼方 - bluescatの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - :タイトルのつけ方:緑炎の彼方 - bluescatの日記 :タイトルのつけ方:緑炎の彼方 - bluescatの日記 のブックマークコメント


 プロ、と言うわけではないのだが、自分で作詞作曲した唄を、ギター一本の弾き語りでうたっている友人がいる。

 その友人が、「新しい唄をつくったので、タイトルをつけてほしい」という。

 いやいや、タイトルをつける、なんて。自分のブログの記事タイトルを考えるのにも苦労しているくらいなのに。唄のタイトルとなると、またちがってくるし、ましてや、ひとがつくった唄である。

 いわばその作品の顔となる、タイトル。その唄の持つ世界、イメージに、ぴったりのタイトルをつけなくてはならない。大げさにもならず、地味にもならず、過不足なく表現されたタイトル。

 しかも、ひとに依頼するくらいだから、歌詞から引用した単語をそのままタイトルに冠するのでは、芸がなさすぎる。

 また、『私の言葉』ではなく、『作者の言葉』で表現しなくてはならないのではないか。などと考えると、その役目のあまりの大きさに、とてもではないが、耐え切れるような気がしない。

 申し訳ない、と思いながらも、私は、やんわりとお断わりすることにした。

 しかし、友人は、

「そんなに深く考えることじゃない」という。なんでもいいのだ、と。私の思ったように、思ったままに、私の言葉でタイトルをつけていい、と。

 そんなことを言われると、ますます困ってしまうのだが。

 二週間、時間をいただいて、タイトルを考えた。



  『緑炎の彼方』(りょくえんのかなた)



 ひとのつくった唄にタイトルをつけたのは、はじめてである。むずかしい作業であったが、自分としては満足のいくタイトルをつけられて、ほっとすると同時に、時間をかけてタイトルをつけるのもいいものだ、と思うようになった。

 ブログの記事の場合、たいてい、ばーっと記事を書いてしまい、最後にタイトルをつけるか、記事を書いている途中でなんとなく浮かんだ単語をタイトルにするか、の、どちらかである。タイトルからつける、ということはほとんどしたことがない。

 いつもそんな感じなので、タイトルがいわゆるマンネリ化している気がしなくもない。

 たまには、タイトルからつけてみる、とか、記事内容から単純に連想できるようなものではないものを考えてみる、とか、時間をかけてつけてみる、とか、試してみると面白いかもしれない。

 ……ちなみに、この記事自体のタイトル、「タイトルのつけ方」。これはぶっちゃけてしまうと、ズル、である。

 以前更新にいそしんでいたブログで、記事タイトルに、「~~の仕方」とか「○○する方法」とか、なんとなくつけていたのであるが、そのブログ、もはや更新しなくなってすでに二年近く経つのに、どうも「~~の仕方」とか「○○する方法」が検索でひっかかりやすいのか、いまだにそこそこのアクセス数を稼いでいるらしい。この、新しく始め、週一ペースでがんばって【笑】更新しているブログよりもずっと、と考えると、ちょっとかなしいような気がするが。

 でも、それだけ、『タイトル』というものが重要である、ということの証明になっているのかもしれない。






 ともあれ、『緑炎の彼方』が、そして、このタイトルが冠された作品がどのように受け止められていくのか。たのしみにしているところである。











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