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2008-03-09勿体無い revised

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 先日。ラジオを聴いていたら、「『MOTTAINAI』(もったいない)を体感しよう」ツアーのことが話題にされていました。「MOTTAINAI」を提唱した環境保護活動家ワンガリ・マータイさんのご出身地を訪ねて植林活動等々に参加するみたいなんですけどね。ツアー料金が40万円とか? 思わず、「MOTTAINAI!」と(心の中で)叫びそうになった自分が恥ずかしいです。




 さて。

 あるイタリア人音楽家が、秋川雅史さんや新垣勉さんによる歌唱で有名な「千の風になって」をイタリア語に訳した歌詞で録音をしたらしい。その楽曲を含む CD が発売されたのだが、作曲者および日本語詞の作者である新井満氏からのクレームにより、回収となったそうだ。通販サイトのいくつかを調べてみると、確かに該当作品が「取扱終了」となっている。

 この事実と新井満さんからのクレームがあったらしいという噂から私が勝手に感じとったのは、「千の風になって」という歌は、日本語で歌われるのがもっとも相応しいのだ、自分の訳詩で歌われることがもっとも相応しいのだ、という新井満さんの作者として自信だった。


 ディープ・パープルレッド・ツェッペリン等の楽曲を日本語直訳詞で歌唱し話題となった『王様』というミュージシャン。様々な「直訳ロック」作品を発表してきた彼が、長年の念願であったビートルズの楽曲で挑戦しようとしたところ、ビートルズの楽曲を他の言語で歌うことは認められない、と訳詞の使用許可が下りなかったという。しかし、それでもあきらめきれなかった王様は、「それならば、ビートルズがカバーした曲のカバーを……」と、「ひねってワオ!」(〈Twist & Shout〉)、「お願い郵便屋さん」(〈Please, Mr. Postman〉)、「君に首ったけ」(〈You Really Got Hold on Me〉)、「月光おじさん」(〈Mr. Moonlight〉)、「長身サリー」(〈Long Tall Sally〉)等々、ビートルズがカバーした楽曲を直訳カバーしたアルバムを制作した。聴いてみた印象は……、やはりビートルズのほうが良いな、と。当たり前であるが。演奏云々とかアーティスト性とかアレンジとか、そういうことでなく、やはり、詞、である。歌詞が日本語であるというだけで、まるで冗談みたいに聴こえてしまうのだ。自分の国の言葉なのに。変なオカシさがこみ上げてしまう。もっとも、王様の狙い、王様のアーティストとしての存在意義はそこなのだと思うが。

 もし、王様の申し出が許可されていたら。そして、それらの楽曲を聴いたら、どんな風に感じたのだろう?


 もうひとつ。ちょっと前に THE KINKS(ザ・キンクス)という「英国四大ロックバンドのひとつ」、にしては、ビートルズローリング・ストーンズと比べるといまいち、ここ日本における知名度や評価の低いバンドの、日本人アーティストによる所謂「トリビュート・アルバム」が発表された。この作品の発売記念イベントを観に行ったときのことだ。その中で、〈Lola〉という楽曲をカバーしているアーティストがいうには、当初は日本語に訳した詞で歌うつもりでいたそうで、すっかりその気で、詞ももう書き上げていたとか。しかし、作者であり、そのバンドのボーカリストであり、フロントマンでもある Ray Davies(レイ・デイヴィス)に許可を得ようとしたところ、それはだめだとあっさり断られたらしい。「口惜しいから、今日、演奏します」と、日本語による〈Lola〉を聴かせてくれたのだが、やはり、本場の〈Lola〉を聴き込んだ耳には、新しさは感じとれるものの、違和感ばかりが気になる結果となってしまった。まるで、まったく別の歌をうたっているのを聴いているような気持ちになってしまった。

 許可を下さなかったレイ・デイヴィスは、きっと、正しかったのだろう。




 歌詞もメロディーの一部である。と常々思う。メロディーと、歌詞による響きと、演奏とが一体となって、一つの作品となる。

 他国の言語に変えることでそのメロディーは違った響きを持ってしまう。その響きもよしとするかは作者の判断に委ねられる。もし、自分が同じ立場であったら? どうするだろう。他国語で歌われるということは、それだけその曲がひろく認められたということに他ならない。他の国でも自分の歌がうたい継がれることになるのだ。それでも、やはり、それを拒むには、自作品への相当な自信と、覚悟がいるのではないか。




 もったいない(勿体無い)とは、仏教用語の「物体(もったい)」を否定する語で、物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、嘆く気持ちを表している。

Wikipedia - もったいない より






 本来あるべきはずの姿を惜しむこころ。あるべき姿を主張できる強さ。自信。そういったものを持ちたいものだ。あるいは、そういったこころに触れたい。――それらが自分にないならば。




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2007-09-22OLD IS NEW:iPod classic

[]OLD IS NEW:iPod classic OLD IS NEW:iPod classic - bluescatの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - OLD IS NEW:iPod classic - bluescatの日記 OLD IS NEW:iPod classic - bluescatの日記 のブックマークコメント


 先日、会社のエレベーターで同じ部署で働く人と乗り合わせた際、特に共通の話題があるわけでもなく、何か話すべきことがあるわけでもなかったのだが。相手方がバッグから取り出した iPod がちらりと見えたので、

iPod ですか?」とたずねてみた。今日び、iPod を所有している人というのは珍しくもなんともないとは思うが。とにかく、密室内での沈黙というのが、たとえ数十秒間であっても堪えられないのである。

 すると、「これ、古いやつっすよ」と。

 いわゆる「nano」や「shuffle」ではなく、オリジナルモデルと称される型の数世代前のモノなのだろう。

 確か、今月頭に iPod 製品群の新シリーズが発表され、オリジナルモデル――従来の「iPod」といわれていたものが「iPod classic」と名称を変え、一新したようなので、

「ああ、iPod classic ですね。今、いちばん、新しいんですよね」

 とこたえておいた。

 彼は、まだ iPod classic を知らなかったようで、「え、そうなんですか」と面食らった様子だった。


 従来、単に「iPod」といわれていたものに classic という新たなラベルが貼られることで、あたらしくなる。オリジナルにあらたな価値が与えられる。そして、「classic」があるからこそ、本当の、本来の「オリジナル」に別の意味が与えられる。vintage というものにもなりえるのだろうか。


 Apple 社の戦略のうまさを、改めて感じたある朝のひとときだった。




Apple iPod classic 80GB シルバー MB029J/A

Apple iPod classic 80GB シルバー MB029J/A


[ITMedia - シリーズ最大容量160GバイトHDD搭載の「iPod classic」]

http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0709/06/news018.html

[アップル - iPod classic]

http://www.apple.com/jp/ipodclassic/features.html











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2007-08-25なつやすみのにっき3

[][]「決して暴力はふるわない。大切なものがあるから。」に潜むもの 「決して暴力はふるわない。大切なものがあるから。」に潜むもの - bluescatの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「決して暴力はふるわない。大切なものがあるから。」に潜むもの - bluescatの日記 「決して暴力はふるわない。大切なものがあるから。」に潜むもの - bluescatの日記 のブックマークコメント


 夏休み、四日目、五日目。それぞれ、遠出して山に登ったり船に乗ったり、近場をウロウロしてシャガールの絵を鑑賞して涼んだり……。この辺りの話を書こうと思っていたのだけど。また別の機会にでも。

 翌日は、通常通り出社して仕事をした。せっかく取った休みを返上して、フツウに出社して、フツウに仕事して、フツウに帰宅するというのも、なかなか痺れるものだ。いつもと同じようにつかれた身体をひきずるようにして表参道をとぼとぼ下って、原宿駅に向かって。

 人気のない深夜の原宿駅改札を抜け、ホームへ降り立つ階段を下りてすぐのところに貼り付けてあるポスターが、目に留まった。ちょっと前から、その存在に気がついていたのだけど。なんとなく違和感を覚えながらも、その理由が分からず、というか、深く考えもせずにいて、その日もいつもと同じように通り過ぎようとしていた。が、ふっ、とした拍子にそのキャッチコピーの意味に気がついて、ガクゼンとした。

 それは、こんなポスターである。


f:id:bluescat:20070825230023j:image

[鉄道事業者による共同PR暴力行為防止ポスター]


 定期入れのようなものに、赤ちゃんの写真が入れてあって、その写真を見つめているのであろうという構図。

 キャッチコピーは、こうだ。


「決して暴力はふるわない。大切なものがあるから。」

「駅や車内での暴力行為は犯罪です」


 このメッセージに恐怖を抱きはしないだろうか? 私は、このように解釈した。


 駅構内で暴力をふるう

  ↓

 傷害罪で逮捕される

  ↓

 犯罪者になる

  ↓

 大切な家族が悲しむ

  ↓

 だから暴力はやめましょう


 自分かわいさ、自分の身内かわいさにつけ込もうというメッセージであって、自分が傷つけた「被害者」に対しては全く着目されていないのではないか。

 この記事を書くに当たって、ポスター画像を探していた際に、東京都庁のサイトに行き着いたのだが、そのサイト内での記載では、図柄イメージをこう説明している。


 可愛らしい乳児の写真を用いることで、自分と被害者の大切な家族や仲間のためにも、決して暴力を振るってはいけないことを伝えています。

http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2007/07/20h7b100.htm


 一応、被害者の「家族」も考慮されてはいるようであるが、相手が受ける「痛み」にはいっさい触れていない。この想像力の足りなさ。そして、『駅や社内での暴力行為は犯罪』だというコピーから窺がえる、喧嘩なら余所でやってくれとでもいうような、責任逃れ的姿勢。なんなのだろう? この薄気味の悪さ。

 逮捕されなければ、罪を問われなければ、いくら暴力をふるってもいいのか。「大切なものがあるから」というが、じゃあ、「大切なもの」がなけりゃあ暴力をふるっていいのか。という疑問に行く着きはしないか。

 例えば、自分には大切な家族などいない、と思っている人。例えば、自分には地位も名誉もない、と思っている人。ここでは、「思っている」というのを強調したい。自分でそう思っている人というのを。そんな人たちにとって、このメッセージが意味するものはなんだろう?


 どうせ、おれにゃあ、妻もかわいい子どももいない。どうせ、おいらには失うものなんかなにもありゃしねえ。


 心の中でそう呟き、暴力をふるう機会を虎視眈々と伺う「誰か」。電車の中だから、駅構内だからと振り上げそうになって収めた拳の行き先を求めて彷徨う「誰か」。暗い夜道を歩きながら、もし、そんな「誰か」が、自分を待ち受けていたら。と考えると、こわい。

 家に帰れば帰ったで、

「今日、本当は殴り倒したい奴がいたんだけど、お前の為に、殴るのはやめておいたよ」

 ひっそりと心の中で呟き、不気味に微笑む父や兄がいたら。なんて想像すると、どうも。

 憤りというよりも、気味の悪さを感じる。嫌悪感といってもいいかもしれない。相手が受ける「痛み」への想像力の欠如に。暴力行為によって傷つくのは、自分の名誉と自分の家族(相手の家族)だけではないだろう。大切なものを失わない為に暴力をふるわない、というのではなく、もっと違う訴え方はできないのだろうか。こんな訴え方をしなくてはならないなんて。こんなポスターが、何食わぬ顔をして、あらゆる駅に貼り付けられているなんて。そんな社会の在り方に疑問をいだく、夏休みの終わりであった。




 公衆の面前での暴力が犯罪なのではない、暴力をふるって見咎められることが犯罪なのではない、暴力、そのものが罪なのだ。











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2007-08-21なつやすみのにっき2

[][]本読み。その過程か。読後感か。:G・ガルシア=マルケス百年の孤独本読み。その過程か。読後感か。:G・ガルシア=マルケス『百年の孤独』 - bluescatの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 本読み。その過程か。読後感か。:G・ガルシア=マルケス『百年の孤独』 - bluescatの日記 本読み。その過程か。読後感か。:G・ガルシア=マルケス『百年の孤独』 - bluescatの日記 のブックマークコメント


 夏休み、二日目、は、海だった。

 でも、書くことはない。私が、ビールをたらふく飲んで、酔っ払って、××は海に還ります、とかなんとか言って、ぶくぶく溺れながら海に漂っていた、なんて話、面白くもなんともないし。

 暑くて楽しくて酔狂な思い出が、頬と肩と背中と胸元の、かすかな日焼けの跡とともに残っている。


 三日目は中日。なんにも予定を入れない日が一日くらいあるのもいい。

 六月くらいからずっと読んでいる本があって、それがあともう少しで終わりそうだったので、この機会に読み切ってしまうことにした。

 ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』。


百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

http://d.hatena.ne.jp/asin/4105090119

d:keyword:百年の孤独/d:keyword:G・ガルシア=マルケス


 このかたの作品は、友人から借りた『予告された殺人の記録』以来二冊目。以前からずっと読みたいと思っていた念願の作品。でも。本を読む時間が朝と帰りの通勤時間に限られていたので、一日に読み進められるのは、わずか、五、六ページくらい。ひどい時――頭がぼうっとして働かない時は、二、三行読んでは戻って、五、六行読んではまた戻って、というのを繰り返し、そのくせちっとも頭に入らなくて、結局一ページも進まないこともあって。そんなペースで読んでいたものが、やっと終わろうとしているというのが感慨深い。

 G・ガルシア=マルケスコロンビアの作家である。私がこれまでに読んできたのは北半球の作家のものがほとんどだが、それとは全く異質という印象を受けた。濃密な細部と、魔術のように次々と繰り出されるエピソードが、見る見るうちに根を伸ばし葉を拡げる熱帯雨林の植物のような圧倒的迫力を持って、描かれている。八月に入ってからのじりじりと身を焦がすような酷暑が、作品の世界観と相まって……。『百年の孤独』を『体験』する、ゾクゾクするような悦び。さすがに午後の暑さは堪えられずカフェに逃げ込み、アイスコーヒーを飲みながら、残り五十ページほどを一気に読み切り、ほっと一息をついた。

「こういう圧倒的な語りを前に、一体どういう「解説」が可能なのだろう。全く途方に暮れてしまう。」

 と解説にあったが、まさにそんな感じ。

 ものすごく濃密で奇想天外な夢を見て、ぼんやりと目覚めたときのような、軽い倦怠感。まだ夢から覚め切れず、呆然とするような。不思議で素晴らしい体験だった。


 そうそう。先日、知人と談話していた際、ジョルジュ・バタイユの『眼球譚』の新訳、『目玉の話』を読んでいたのだけど、読み終わるのがもったいなくて、途中で読むのを止めた、というようなことを言われて。


マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)

マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)

http://d.hatena.ne.jp/asin/4334751040


眼球譚(初稿) (河出文庫)

眼球譚(初稿) (河出文庫)

http://d.hatena.ne.jp/asin/4309462278


 知人曰く、面白いものは読み終わりたくない、と思ってしまうのだそうだ。だから、途中で止めちゃう、と。

 私なんて。面白ければ面白いほど、もったいないから、読み終えたい。読み終わったら、また別の面白いものを読みたい。なんて思ってしまうのに。……贅沢なのだろうか。欲張りなのだろうか。

 他にも、その世界にずっと浸っていたい、読み終えたくない、という趣旨のことを言っていた人もいたような。いずれも男性。

 例えば、ライヴ演奏のように。ずっとその演奏に浸っていたいと思う、ということだろうか? それは分かる気がする。気持ちの良い演奏は、ずっとそれに浸っていたいと思うものだ。とすると、知人にとって、本を読むという体験は、気持ちの良い音楽を聴いているときと同じようなものなのだろうか? 気持ちの良い演奏にひとしきり浸ったあとの余韻というのもまた格別なのだけど。もしかすると、私は、その余韻を求めているのかもしれない。

 体験の、その過程を楽しむか、体験した後の余韻を得たいと思うか、という違いなのだろうか。

 知人にすれば、何気ない発言だったのかもしれないが。ずしりと来る一言だった。


 ところで。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』。

当初の構想ではこの小説はそれぞれ独立したものとしても読める二部によって構成されるものであったが、作者の死によって第二部(第一部の十三年後の物語)は書かれることなく中絶した。今日われわれが『カラマーゾフの兄弟』として知るこの小説は、壮大な未完結作品なのである。ただし、小林秀雄が評するように、本作は「およそ続編というようなものがまったく考えられぬほど完璧な作品」となっている。

Wikipedia - 『カラマーゾフの兄弟』 より)

 この作品は、未完でも良い、というのは理解できる。『一部』だけで完璧な作品として読めるから。むしろ、『一部』で終わっているからこそ良いのだという意見にも、賛成できる。でも、もし、『二部』まであったら。私は、読んじゃうなあ。きっと。読みたくないような気もするけれど。きっと、読む。




 どうですか? 『カラマーゾフの兄弟』第二部。貴方は、読みますか。読みませんか。


 面白い本、もったいなくて、途中で止めますか。もったいないから、読み切りますか。――なんてねえ。




カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

http://d.hatena.ne.jp/asin/4334751067

d:keyword:カラマーゾフの兄弟/d:keyword:ドストエフスキー


*新訳。私は未だ読んでいない。











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2007-08-19なつやすみのにっき1

bluescat20070819

[]支店が本店を潰すという仮説と妄想 支店が本店を潰すという仮説と妄想 - bluescatの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 支店が本店を潰すという仮説と妄想 - bluescatの日記 支店が本店を潰すという仮説と妄想 - bluescatの日記 のブックマークコメント


 夏休み、第一日目。晴天。


 私が立てた夏休みの壮大な計画では、第一日目は、海へと繰り出す予定だったのだが、友人の提案により、ゆっくりとスタートを切ることにした。

 友人は、まず、夏休みをさっぱりと迎えるべく、散髪に出かけていった。

 友人が故郷に居を戻して一年以上になる。けれど、いまだに散髪は、かつて住んでいた地域の馴染みの店に行くことにしている。何度かは浮気をして、現在の地元の店に足を運んでみたそうだが、その都度、無残な結果となって店を出ることになるので、自分の思った通りに仕上げてもらえる、かつての馴染みの店に行ったほうが確実である、という結論に至ったようだ。

 馴染みの店があるってのは、いいね。

 私には、ない、なあ。

 今までいろんなところに住んだり、いろんなところで働いたり。東京の街を東から西、北から南へと渡り歩いてきたような気がするけれど。思い出ばかりが、この、握った指と指の間から零れ落ちてゆくような感じ。

 いつか、私にも、愛する東京の街を離れる時が来るだろう。

 そうなった時、時折訪れる、あるいは訪れたくなるような、『あの店』、みたいなものが、私には、きっと、ないだろうと考えると、ちょっと、さみしい。

 これから見つければ、いいじゃん? そうね。でも、きっと、私は、これから先も見つけることはないのだ。とか考えたりした。


 友人のかつての地元で、一緒に昼食をとった。

 地元マダムに人気の洋菓子店の、これまた人気のランチ。見渡すと、女性客ばかり。女性に人気のある店は、美味しい。というのが私の勝手な持論で。いや、本当はね、料理人と呼ばれる人に男性が多いように、美食家と呼ばれる人に男性が多いように、男性のほうが味覚が鋭い人が多い、というのは分かっているのだけれど。……女性は、シビアだから。味、内容、雰囲気、そしてコストパフォーマンス云々に対して。だから、女性客ばかりで賑わっているお店はそこそこの水準以上である、と思っていて。これが外れたことはあまりない、と、自分でその点に満足していて。そして、今回も、その期待が外れることなく美味しい料理を食べさせてもらえて。ますます自分のなんでもない感性を過大評価してみせたりしてね。


 そんな昼食を終え、友人の散髪も終えたので、映画でも観に行くことにした。互いに仕事の疲労感が抜け切れていなかったので、何にも考えずに無条件に楽しめる映画がいいだろうと、なんとなく、『ダイ・ハード4.0』を。私は『3』は観てないのだけど。シリーズ一作目から十九年、前作から十二年ぶりだそうな。公開されて一ヶ月以上経つのに、もたもたしているとすぐに満席になりそうな混雑ぶり。シリーズ最新作への期待の高さ、ブルース・ウィリスさんの人気のほどが伺えた。

 どのへんが『4.0』なのだろう。と思っていたが。面白かった。無条件に、楽しめた。突っ込みどころがない訳ではないけれど。ブルース・ウィリスさん、五十二歳、に敬意を表す、ということで、とりあえず、レビューにもならない薀蓄は自粛しておくことに。


 夕食の為に代官山へ向かった。

f:id:bluescat:20030717191851j:image

[かつての姿]


 暑いので、ヴェトナム料理が食べたかった。お目当ての店は、渋谷から、てくてく、てくてく、歩いて十五分くらいの、『閑静な住宅地』にぽつんとある。渋谷パルコの中にも支店があるということは知っていたが、どうせなら本店で、ということで、ひたすら歩いた。で、店まで着いたのだけれど。やっていなかった。店の明かりが点いておらず、いろんなものが店の内と外に散乱していて。本日休業とか、そんな感じではなくて、どうやら店仕舞いしてしまったような雰囲気。

 私の中の印象では、辺鄙な場所にありながらも、いつも予約で一杯の、いわゆる『セレブリティー』な人たちで賑わっている、『超』のつく人気店だったのだが。

 時代の流れであろうか。

 軽く衝撃を受けながらも、こうなったら支店でもいいからとりあえずヴェトナム料理が食べたい、ということで、渋谷まで戻り、パルコ店へ向かった。

 休日のちょうど夕食時なのに、お客さんはそれほどいなかった。私の中の勝手な印象がまたも揺らいだ。たまたまその時は客足が鈍っていただけなのか。私がメディアの情報に惑わされていただけで、それほど人気の店ではないということなのか。美味しいヴェトナム料理を食べさせてくれるお店が増えたということなのか。いろんなことを考えたりしたけれど。我々のテーブルのすぐ近くでは、ヴェトナム人と思われる学生風の少年二人が、何か内輪のお祝い事でもしているのであろうか、ジュースで乾杯をしながら料理をつつき合っていて、微笑ましかった。また、やや離れたテーブルには女性二人連れやカップルなどがいて、ゆっくりとヴェトナム料理を楽しんでいる様子だった。もしかすると、本当にヴェトナム料理がすきな人たちが、雰囲気や評判などに惑わされずに足を運んでいるのかもしれない。などと想像した。文句なしに、料理は美味しかった。暑い時期に食べる暖かい国の料理はこと格別だった。ヴェトナムのビール、333(バーバーバー)を飲みながら、生春巻きやフォーに舌鼓を打ち、夏気分を存分に味わうことができた。

f:id:bluescat:20051109123100j:image

[写真を撮るのを忘れたので、以前に本店で食したときの画像]


 帰りはバスで。電車に乗ったり降りたり乗り換えたりせずに済み、バスに揺られながらぼんやりと考え事ができるので、この帰り方、気に入っている。

 で、バスの中で考えたのは、つい先刻のヴェトナム料理店のこと。

 代官山店が本店だというのは私の勝手な思い込みで、本当は違うのかもしれない。けれど、店の名前で検索するといまだに代官山店が最初にヒットするということは、本店に近い、中心的位置にはあったはず。なので、本店ということにしておく。確か、支店ができたのは、二年くらい前か。ああ、あの店の支店ができたのか、駅から近くて便利かも、なんて思った記憶がある。……で、その本店が潰れ、支店であるはずの渋谷パルコ店は残っているという現状。

 例えば。あの店の味がすきで、本店に通っていた人がいるとする。どの駅からも歩くし、駐車場もないから車でも行き辛い、でも、美味しいから、と。しかし、渋谷店が出来たことで、そういった人たちが、そちらに流れていったら。本店に訪れる人が減り、さびれていき、あえなく閉店という憂き目に遭ったとしたら。支店が出来た所為で、客が減った、という考え方をすると、支店ができなかったほうが良かったのだ、安易に支店を作るものではない、なんて。訳知り顔で吹聴してみせたりして。

 ここで、くるりと発想を変えてみる。

 もしかすると、経営者にとっては、代官山店はいつか畳みたいと思っていた店だったのかもしれない。とか。代官山店の客を渋谷パルコ店に流動させた上で畳もうと思っていた、その時期が訪れただけなのかもしれない。なんて。

 または。あえて、近くに支店を作ることで、店の活性化を図ろうとしていたのかもしれない。とか。ひとつの店に拘るより、アクセスの便利な店を近くに据えることで、本店に刺激を与え、互いによりよい店作りをすることができるのではないかと考えたのかもしれない。とか。

 いずれにしても、時代は変わり、かつては『セレブリティー』で賑わっていた(らしい)店は、役割を終え、ひっそりとその跡を残すのみとなっていた。

 真実のほどは分からない。本店が潰れ、支店が残っている、という現状があるのみ。もしかすると支店が本店を潰したのかもしれない、という私の妄想が、ただただ都市バスのゆったりとした移動速度の中、ものすごいスピードで駆け巡ったというだけの話だ。

 そのうち、バスが中野駅へ到着しようとしていた。

 中野といえば、丸井本店があるのだが、この本店は、今年八月二十六日、創業六十年目に閉店となる。

 丸井に特別思い入れがある訳ではないが、『中野唯一』のデパートなので、新宿や渋谷まで出なくても、買い物ができたのは便利だった。丸井の場合は、新宿店や渋谷店、吉祥寺店等々、近隣の店の影響というより、現在の地域性に合っていない、とか、そういう理由かもしれない。

 確か、丸井の新宿支店である「マルイONE新宿」(通称「ワンジュク」)は、なぜかゴスロリ服が豊富で、「その道」の人たちの間では「聖地」となっているそうだ。なぜそうなったのか、経緯は定かではないが、求められてそうなったのであろうと想像できる。地域性や客層に応じて独自の個性を増し、形作られていったのだろう、と。とすると、中野本店は、形作られることなく、あるいは形作られたものがもはや需要を満たすことができず、その役割を終えようとしている、ということだろうか。『中野唯一』のデパートは、時代の波に飲まれ、役割を終えて、この世から姿を消す。

 ヴェトナム料理店から端を発し、丸井中野本店に及んだ空想は、ネットの世界まで飛び火し、さらに妄想が拡がった。

 『Web 1.0』の象徴だった、いわゆる『ホームページ』。自分で HTML を書いてページを作って FTP でアップロードして。日記を書いたり、エッセイを綴ったり。

 かつて日記サイトやテキストサイトと言われるような『静的』サイトを公開していた友人・知人の何人かは、本家として『静的』サイトは残しつつも、別館としてブログを開設し、現在ではすっかり、別館が本館になってしまったような感じに。でも、それは、時代の流れ、仕方がない、というより、そうなるべくしてそうなった、というように見受けられる。かつての『本家』はその役割を終え、ネット上にその跡を残しつつ、『1.0』で培われてきたものが受け継がれて、より便利な『Web 2.0』的ツール――ブログという新たな河岸で息づいている。

 そんな中で、いまだに静的な『ホームページ』でせっせと更新し続けているサイトもあって、それはそれで、良いものだな。とか思ったり。

 どちらがいい、とか、どちらが悪い、という話ではなく、自分に合った形で表現したいものを残しておける場所がある、というのは、いい。うらやましい。と思うということ。今までにいろんな日記サービスやらブログサービスに手を出しては自ら潰してきた身としては。東京に十年以上も住みながら、『馴染みの店』をひとつも持たない身としては。

 自分が本当に残したいと思うものを、残したい形で維持していくというのは、難しいことなのかもしれない。などと考えたりした。


 さて。明日は、海だ。











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2007-08-11自分探しの旅って

bluescat20070811

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 なつい……。(*1)

 今日から夏休み。いちおう、九連休。

 この休みの為に、まいてまいて、がんばって、仕事を終わらせてきた。でも、結局、一日か二日は、出勤することになるかも?

 この場合、休日出勤扱いにはならない。……当然?

 休みの期間中は、ちょこちょこと、旅に出るかも。

 あ、間違っても、「自分探しの旅」、とかじゃあ、ないですよ。

 そもそも、探せるような自分がいるなら、とっくに、探し出しているさ。











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