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敵も愚民である

-愚民唯我独尊ごろくより-
 

2009-01-23

namgen20090123

[]吉本隆明の「中学生のための社会科」 11:17 吉本隆明の「中学生のための社会科」 - 愚民の唄 を含むブックマーク はてなブックマーク - 吉本隆明の「中学生のための社会科」 - 愚民の唄 吉本隆明の「中学生のための社会科」 - 愚民の唄 のブックマークコメント

 ここは久しぶりの更新になる。ひょっとしたら「はてなG」においても今年初のエントリになるのかも知れない。というわけで皆さんお元気でしょうか。

 昨年11月の「南無の日記」でもとりあげた吉本隆明の『中学生のための社会科』について再度言い足らなかったところを若干付け足して述べてみたい。もともとはミヤタさんのブログ「老いについてもう一度」-miya blog(要介護4の妻との介護&どたばた生活)2008年10月09日 -を読んで興味を持ち始めたのが動機である。この本に対する吉本の思いは巻頭に記されている。吉本隆明が後期の人達に対するおもいのすべを伝えるために引用文としていささか長いのかも知れないが巻頭文の「全文」を下記に転載した。

 はじめに

 この本の表題として『中学生のための社会科』というのがふさわしいと考えた。ここで「中学生」というのは実際の中学生であっても、わたしの想像上の中学生であってもいい。生涯のうちでいちばん多感で、好奇心に富み、出会う出来事には敏感に反応する軟らかな精神をもち、そのうえ誰にもわずらわされずによく考え、理解し、そして永く忘れることのない頭脳をもっている時期の比喩だと受け取ってもらってもいい。またそういう時期を自分でもっていながらそれに気づかず、相当な年齢になってから「しまった!」と後悔したり、反省したりしたわたし自身の願望が集約された時期のことを「中学生」と呼んでいるとおもってもらってもいいとおもう。

 ただ老齢の現在までにさまざまな先達、知人、生活、書物などから学んだり刺激を受けたりしたこと、体験の実感から得たものがたくさん含まれているが、すべてわたし自身が考えて得たものばかりで、模倣は一つも含まれていないつもりだ。これがせめて幻想を含めた「中学生」にたいする贈物だとおもっている。

 さあ、このくらいにしてあとは読者の理解や誤解の「自由さ」にまかせよう。

  2004年12月 吉本隆明記

 -はじめに「中学生のための社会科」より-

 この巻頭文を読んだ時に本年1月4日教育テレビで放映されたETV特集『吉本隆明が語るー沈黙から芸術まで』で見せた彼の妄念みたいなものを了解し、老いてはいるが思考ということに関しての極を我々に見せつけたのだと思った。この本についても簡易に書かれてるゆえの重たさみたいなものを感ぜずには居られなかった。

 大まかに言えば三つに分けられた章になっていてそれぞれを独立したものとして読むことも可能である。「第1章-言葉と情念-」となっていて詩作や詩表現から始まり古典に拠る日本語としての言語論も含めて我々にとって馴染みのある『言語にとって美とはなにか』で述べられてきたことの真髄が簡潔に述べられている。「第2章-老齢とは何か-」においては身体と意識の乖離からくる老いの認識についての識知とされているものへの批判的止揚として自らの身体とそれに伴う意識の現象において私達にとって非常に興味のある分析を行っている。特に72歳だったか、ちょっと失念しているが吉本自身が静岡の海岸で溺れた時の事後記録【溺体体験以後の後遺現象】については譫妄体験を語っていて、私が正月早々体験した前妻の低温療法手術後の譫妄現象と重なり個人的にも非常に惹かれるものがあった。また「第3章-国家と社会の寓話-」に於いては国家、民族、社会という共同体のはざまで生きるにあたり、共同性と個人という生き方にまで言及している。またこれらの章は吉本隆明を少しでも読んだ者にとっては既に聞き慣れた内容も含まれている。或る意味では吉本隆明の大著である『言語にとって美とはなにか』asin:4041501067であり、『共同幻想論』asin:4041501016であり、『心的現象論-序説-』asin:B000JA0LDMで述べられてきたものと重なり合うと見る向きもあるかも知れないが一つの情況論として捉えるなら、より現在的であり優れた著作として読むことが出来るだろう。いうならば決して大著ではないが一種の飲み物としてたとえるなら濃縮ジュースみたいなものであり、初心者にとって難解な言葉を選ばず核なる部分を出来るだけ平易さを意識されて書き下ろされているのではないかと思う。だからといって取り上げられている項目内容の質については決して普通で言うような平易なレベルでもないところがミソではある。

中学生のための社会科

中学生のための社会科

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2008-10-13

namgen20081013

[]愚民的な出会い方 17:35 愚民的な出会い方 - 愚民の唄 を含むブックマーク はてなブックマーク - 愚民的な出会い方 - 愚民の唄 愚民的な出会い方 - 愚民の唄 のブックマークコメント

 このはてなの「コンポラG」においてはもっとも年長者であるのだが各自の更新頻度が昨年で止まっている者が半数近くなってきている。一応管理責任者のひとりとしてはちょっぴり侘びしい気持ちもある。当初はもっと相互に交流があるべきものと思っていたが今となれば閑散とした感じにしか見受けられない。また当初居たヒトが今では居ないということもある。ブログは使い捨て勝手ではあるので不満タラタラという感は持っていない。もっともここでしかネット上表現する場のない人もいないわけではないので暫くこんな感じで続けるしかないのかも知れない。

 先日上京仕事にかこつけて最後の夜は在京の幾人かのヒトとお会いすることが出来た。残念なことに在京の「コンポラG」のメンバーの方と会うという機会は無かった。「南無の日記」を読んでいて上京が近いことを知りメールを先月から戴いたりして相互に連絡を取り合っての出会いとなった人が多い。出会いの機会を作ってくれた人達にはここで感謝を申し上げたい。特に嘗て『ブログ・バトル・ロワイヤル』でお骨折り戴いたnoon75氏には恐れ多くもその日のための幹事役を引き受けて貰い、また裏方に徹して幾人かの連絡網の中心となって頂けたことは嬉しい誤算とも言うべきものであった。また、一愚翁の出席もある意味では幅が広がったかなとも思っています。

どこか、東の夜空の下の、どこか、屋根の下で盛り上がっている会合があって、そこから電話を通し、その盛り上がりの若干の欠片を相伴にあずからしてもらった。互いに、書いたものを読んでいた時に、すでに出会っていたので、初めて会うという意味は、ただ、あとからやってきた、からだとか顔とかと出会っているということだ。

  「他者への入り方」-坂のある非風景

 また以前より東京という環境であれば会う可能性が互いにあると思っていたMさんに会えなかったことが心残りではあったが、それはそれで未来の楽しみとしてとっておけば良いと思っている。しかしながら体力的には今回自分の年齢というものには逆らえなかった。還暦を過ぎるということはこういうものなのかなとつくづく思った次第である。

※参照:『「分かる」と「分かれる」は同じものか』-坂のある非風景

※参照:「類い希なる才能のためのバラード」-セックスなんてくそくらえ

※参照:「『新宿ビッグイシュー』に-日曜日を送る会」

※参照:「睡ing してる」一愚さん

puyoppuyop2008/10/14 01:15不義理してます。申し訳ないです。
今は、いろいろごたごたしていますが、必ずやそのうちご挨拶に。^^;

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2008-08-13

namgen20080813

[]アデンからハラルへ-「ランボー、砂漠を行く(アフリカ書簡の謎)」- 16:57 アデンからハラルへ-「ランボー、砂漠を行く(アフリカ書簡の謎)」- - 愚民の唄 を含むブックマーク はてなブックマーク - アデンからハラルへ-「ランボー、砂漠を行く(アフリカ書簡の謎)」- - 愚民の唄 アデンからハラルへ-「ランボー、砂漠を行く(アフリカ書簡の謎)」- - 愚民の唄 のブックマークコメント

 アルチュール・ランボー(Jean Nicolas Arthur Rimbaud)が若くして、いわば詩作を放棄して、アラビアのアデンへ旅立ち貿易商社に従事し、その後アフリカのアビシニア(エチオピア)に渡ったことは広く知られている。そしてそれは一種のランボーの謎となって、さまざまな論究が為されていることも承知している。しかし、やはりこれは謎なのであり、凡人の想像力をくすぐる文学上のミステリィとも言えるだろう。

 さて、この書はまさしくランボーがアデンとハラル間を行き来し、最後の地として故国マルセイユの地で妹イザベルに看取られながら37歳で亡くなるまでの書簡を文学的想像力によって出来るだけ時空間を拡張せしめた労作であるといえる。また、ランボーの「詩」と「書簡」との間にある、つまり、詩作をやめた21歳からアデンに始まりマルセイユで終わる個人史的時間の前後差をその関係の絶対性とも言うべき中からランボーの繰り広げた詩的言語空間に逆照射させてみせたものでもあるといえよう。著者鈴木和成氏がいみじくもランボーに取り憑かれるように惹かれ取り組んできた中で思念に残るものをその本書の「追い書き Voici la date mystérieuse」の初頭で『私はランボーをいつでも”終わり”から読んできたような気がする。』と書き記している。まず謎を解く「アフリカ書簡」がはじめにあり「地獄の季節」、「イリュミナシオン」があったという鈴木氏の気持ちがそのまま「ランボー、砂漠を行く」に結実化したものと思われる。

 また、彼の師である井上究一郎教授*1 との研究室でのやり取りも一種の禅問答のようで興味深く、研究者としての井上究一郎の凄さを窺わせる。

 「ここに神秘な日付が来る Voici la date mystérieuse」とマラルメは言う。ランボーにおいて詩が終わり、沈黙が始まる時期のことを言っているのである。詩が沈黙と触れ合い、共鳴し、沈黙へと身を譲り渡す時期、私にはランボーの問題はそこにしか見つけられなかった。修士論文の指導教官だった-今は亡き-井上究一郎教授の研究室で、そんなランボー論を書きたいというと、教授は「ランボー論を書こうなんて思ってはいけない。ランボー研究だよ。」と釘を刺された。私は百冊以上の研究論文を読み通し、ランボーの詩が沈黙と触れ合う「神秘なdate」について諸家が述べるところを探索し、カードに採り、それらの資料を元に「『イリュミナシオン』の成立と詩人の死」と題する論文を提出した(これは『ランボー叙説-「イリュミナシオン」考』として1970年に一書となった。)

 その後も、ランボーにおける「神秘なdate」は私に憑いてまわることを止めなかった。

(後略)

  -追い書き Voici la date mystérieuse「ランボー、砂漠を行く」鈴村和成著より-

 後日それは研究室に閉じこもる「研究者」井上究一郎教授から鈴村氏に至る中で確かに鈴村和成氏の「ランボー論」の中核を占めるようになっていったのである。「文学者」鈴木和成の誕生とも言うべきものなのだろう。それは後に続く言葉にいみじくも表れている。

 言うならばランボーはアフリカ書簡の一通毎に詩の放棄を行っているのだった。そこに詩があるとするなら、砂漠に風が描き出す風紋に似たものだっただろう。そこでは生成と風解が同時に進行しているだろう。ランボーの詩はそのように詩の放棄と背中合わせになっていた。

 ランボーが詩を棄てた”時”というものは、もしそのような時があるとするならば、それは砂漠の砂のようにどこまでもちりちりに手のうちからこぼれ落ちてゆくものであるに違いなかった。ランボーにとっての時とは、詩の放棄そのものではないかと思われた。

※仏語の出来る方は右記サイトへ:「アルチュール・ランボー書簡集」(1870-1891)

ランボー、砂漠を行く―アフリカ書簡の謎

ランボー、砂漠を行く―アフリカ書簡の謎

*1:井上究一郎(いのうえきゅういちろう、1909年9月14日 - 1999年1月23日)は日本のフランス文学者、翻訳家、エッセイスト-ウィキペディア

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