敵も愚民である-愚民唯我独尊ごろくより- |
2006-10-22

■ [愚民]シャセイ・トゥデイのいうところの中年女について。

平日の昼間に女と出歩くセックスブロガーにラジコンを売りつけようとしている女についての表現である。日常のなかでふと垣間見せた筆者の違和感を得意な女をたとえて表現している。また私は愚民として現在的な意味においての言語表現の危機を感ずるのである。
そこに一人の中年女、肌の具合から見ると20代の後半だろうか、が大きな紙袋を持って近づいてきたのだった。(太字は愚民)
-セくらえ管理部-
ここで明らかなことはセくらえさんが携えている女が1820歳未満の可能性もあるということである。悔しい思いがこみ上げるのだが、表現の批評として、それはそれである。さて、もうお気づきであろうか、ここでの「中年女」という言語の修飾的な部分がそのあと続くのだがその形容と「中年女」に明らかに時空間の軋轢を感じる。これは言語の空間性が時間軸ととかみ合わない事を読者に強いたからであり。言語の歴史的累積性を突き破ることが出来なかったからの結果である。ソシュール流に言うならば相互的に補完しあう関係としての「30代後半」と「20代の後半」とはどう見ても置き換え可能の言語になりえない。せっかくの仮構された場所性を表す設定された情景の像領域全体が揺らぐような気がする。それともこれは既成の言語表現に対する彼独特の挑発的な表現の一つなのであろうか。というより羨望から来るところの私の言いがかりであるだろうか。とにかくこういう書かれ方をされると惨めな気持ちになるのはジジィだからだろうか?20代後半でヴァヴァーだとは、うらやましい限りである。チキショウ!
追記:
セくらえさんより無頼らしい回答が出ました。
『■ 諸事情により出所は明記しないが』となっておりますのであえてリンクしません。回答ありがとう御座いました。
といいますか、明らかに以前と顔が違いますね。(´Д`)
>h_catさんの1番目のコメントについて。
h_catさんずっと、一番目のコメントの一部が引っかかってずっと考えていました。これはつまるところ美容のための形成外科の手が入っている鴨、ということですね。瞼とか目の周りという領域に・・。変化には気づいていましたが、美しくなるためであれば・・、ということでしょうか。
>h_catさんの2番目のコメントについて。
視点が肌にいくのか、それ以外の言葉で年齢の喩的表現をするのかは対象化されうる性がすなわち対自化された性によって疎外されうるわけですからh_catさんの論は成り立ちえますね。言語が成立するためには想像的意識のなかで凝縮された固有の時間性から飛び出してくるものです。そういう前提に立てばセくらえさんの「20代の後半」という言葉に続く表現は固有時の昇華という面で見事であるという見方も成り立ちうるわけですね。もっとも私はその部分まで言及しておりませんね。いやはや恥ずかしい限りです。もっとも、エントリィそのものがこんな感じで発展的に止揚されていくということは嬉しいことです。なんか『痴覚の現象楽』のエントリで取り上げたくなってきますな。セくらえさんのエントリって結構沢山の女性が見ていると思うのですけどね、毒を吐くようですがコメント類から辿ってみたり、見たり、すると頭ゆるい女が多いですよ。そのあたりが彼の魅力のひとつなのかもしれないですけどね。個人的な毒をもう一度吐くならばワシの場合は感性的にはそのような女性シンパシー軍はいらないね。だって疲れるモンネ。あぁ、ドク毒になってしまったじゃネエカ。筆禍にならなければいいけど・・・。