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敵も愚民である

-愚民唯我独尊ごろくより-
 

2007-01-20

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 もう投票は始まったと思う。取り立てて待つ理由や様子見と言うことは必要ないと思うので手短に書かせて貰う。

 私が選んだのは「村山たか女が見た淵」id:ao_lazward「HOME」id:h_catの二作品である。それぞれに私なりの理由を述べさせていただく。

「村山たか女が見た淵」については、通底器としての波動を私個人が感じた。私の作品と共有するものがあったと言うことである。ジャンルとしてはエッセーに近いものだと了解した。導入部は確かに訥々と始まり出すが次第に引き込まれていった。京都に在住しながら京都を初体験するということが読む者に嫌み無く伝わってきた。ある意味では女の視点に過ぎないと片付けることも出来たかも知れないが私にはそんなことを感じさせなかった。技術的には構成的な部分で多少の難があるようにも思ったがラストまでゆるむことなく筆を進めたと思う。

何もかも失くし、それでも生き続けなければならなかったたか女が終焉の地で表したのは、生かされることへの感謝の気持ちでした。生まれ年の干支である巳に守られてここまできたと彼女は信じ、巳にまつわる品を遺しているのです。その時の彼女には、すでに怒りの気持ちも恨みの気持ちもなかったのかもしれません。

 たか女の生き方とは死に方であり、死んだ者達のためにこそ全てを包括してたか女が生きたと言うことがよく伝わった作品である。

 「HOME」について。私は個人的に母の介護に携わってきているのでリアリティがあった。誰もがいつかはそのときを迎えるのであるが、その予見性と避けることの出来ない現在を派手な表現の一切を省いて主人公の微妙に揺れ動く感情の起伏で表している。もっとも嫌う親の姿をいつかまた自分が追体験するのであろうという事を逃れれないものとして提示している。誰もがいつかは迎えるであろう親との決して綺麗ではない現実がすぐ目の前に来ているのだというメッセージは否応なく伝わった。

 私が選んだ二作品は私が抱く抗いようもない落とし穴、つまり陥穽というイメージに沿って書かれ、尚かつ普遍であるという点で私の印象に残ったといえるだろう。

 以上簡単ではあるが述べさせていただいた。

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