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敵も愚民である

-愚民唯我独尊ごろくより-
 

2007-03-22

namgen20070322

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ポオについての雑記

 ポオの生涯に於いて書かれた詩は全部で63編といわれていて、創元推理文庫の『ポオ詩と詩論』asin:448852205Xの中に福永武彦入沢康夫の手によって翻訳されている。その翻訳の中身については別途その「文庫」を読んでいただければいいかと思う。そのほか原詩であるオリジナル・テクストについては『The Work of Edgar Allan Poe』でその殆どを読むことが出来るので一度原文を味わって貰うのも良いかと思う。また1831年以降(軍からの退役以降)のポオの年譜については『POE MUSEUM』を参照し、抜粋したものを以下に記したので参考にして欲しい。このサイトを読めばおわかりのようにポオの年譜と対応するように右サイドに通常史における特筆すべき事項も記してあるのでその時代性というものも頭に入れておけばそれなりの手助けにもなるだろうと思う。たとえばAbraham Lincoln*1英国詩人Alfred Tennyson*2と時代を同じくして生まれていることなど興味深い史実も分かるだろう。

【退役以降のポオの年譜】

1831

Expelled from West Point in February

Lives in Baltimore with aunt, Maria Clemm, and her daughter, Virginia

Poems: Second Edition contains “To Helen”

1833

MS. Found in a Bottle” (short story) wins literary prize; is published in Baltimore Saturday Visitor,

19 October

1834

John Allan dies, 27 March

1835

“Hans Pfaal” (first modern science fiction story) published in Richmond’s Southern Literary Messenger, March issue

Moves to Richmond in mid-summer to join Messenger editorial staff

Courts cousin, Virginia Clemm

Brings Virginia and her mother to Richmond

1836

Marries Virginia Clemm (age 13) in Richmond, 16 May

Increases Messenger circulation

1837

Resigns from Messenger

Moves to New York, January

1838

Moves to Philadelphia

The Narrative of Arthur Gordon Pym (novel)

1839

Becomes assistant editor of Burton’s Gentleman’s Magazine in June

The Conchologist’s First Book

(scientific textbook)

1840

Tales of the Grotesque and Arabesque (2 vols.) includes “The Fall of the House of Usher

Quarrels with editor of Burton’s, leaves in May

1841

Becomes editor of Graham’s Magazine in February

“Murders in the Rue Morgue”

(first modern detective story)

1842

Publishes stories:

“The Pit and the Pendulum”

“The Masque of the Red Death”

“The Mystery of Marie Rogêt”

Interviews Charles Dickens in March

1843

Publishes stories:

“The Tell-Tale Heart”

“The Gold Bug”

“The Black Cat

Publishes critical essay:

“The Rationale of Verse”

1844

Moves to New York City

Lectures on “The Poets and Poetry of America”

“The Balloon Hoax” (satirical story)

1845

Publishes “The Raven” in the New York Evening Mirror, 29 January

Publishes Tales in July

Publishes The Raven and Other Poems in November

1846

Moves to Fordham, New York

“The Cask of Amontillado” (story)

“The Philosophy of Composition” (critical essay)

several Poe stories translated, critically acclaimed in France

1847

Virginia Clemm Poe dies, 30 January

Poe falls ill

Completes “Ulalume” (poem)

1848

Eureka (philosophical essay)

Reads “The Poetic Principle” (critical essay) to audience of 1,800

Writes “The Bells” (poem)

1849

In Richmond to lecture and see friends in mid-summer

Engaged to widow Sarah Elmira (Royster) Shelton, former fiancée

Leaves Richmond for New York, 27 September

Found delirious in Baltimore, 3 October

Dies, 7 October

Poems appear posthumously:

“The Bells”

“Annabel Lee”

“El Dorado”

 -「Poe's Works and TImeline | Edgar Allan Poe Museum」より参照-

ポオの書簡など(坂本和男訳より)

 また、ポオの手紙というべきものも個人的な抜粋ではあるが転載した。

「ポオ書簡」の抜粋

【ジョン・ニール宛-1829年ボルチモアにて-】

 私は若くて-まだ二十歳にもなっていませんが-すべて美を深く礼賛する者が詩人であるなら、まさに詩人です。そしてごく普通の意味での詩人になりたいと思っているのです。私の想像に浮かぶ観念の半分でも表現できるなら、この世のすべてをなげうってもいいのです。

 希望と若さに満ちているポオを見ることが出来るが、詩人の人生はそんなに甘くはなかった。自ら詩を書くと共に雑誌を発刊する情熱は実を結ぶとは言えず芸術の切り売りをするしかなかったのである。やがて生活のために妻ヴァージニア(トップ肖像写真)と共に1844年ポオが35歳の時にニューヨークに転居する。

【エバート・A・ダイキング宛-1846年-】

拝啓

”特殊な事情”がありますので、三月一日までに小説集をもう一冊出版していただきたいと切望しております。そのようにお取り計らい願うわけにに参りませんでしょうか。今度お送りする小説集の著作権料として、総額で五十ドルほどワイリイさんからいただければ有難いのですが。  

 ある意味ではポオの人生は貧乏との戦いであった。 

ヴァージニア・ポオ宛-1846年6月12日-】

 いとしい人、愛するヴァージニア、今夜ぼくがおまえのそばにおれないわけは、母さんが説明してくれるだろう。インタビューの約束があるのだけど、それはぼくのために、愛するおまえのために、また母さんのためにも、何か相当に役立つものと信じている。希望にあふれ、元気を出して、もう少しの間辛抱しておくれ-この前ひどくがっくりした時、もしおまえがいてくれなかったらぼくの勇気はくじけてしまっていただろう。この気に入らない、不満足な、骨折り甲斐のない人生と戦うために、愛するかわいい妻、おまえだけがぼくの最も大きな唯一の励ましなのだ。明日の午後にはおまえのそばに行けるだろうから、会うまで心安らかにしておくれ。おまえの最後の言葉と熱烈なお祈りとを、ぼくは愛情をこめて胸にきざんでおくつもりだ。

 よく眠れますように、また、深い愛を捧げるとぼくと一緒に安らかな夏の日々が過ごせますように。

 この翌年1847年1月30日、病床の妻ヴァージニア死去。

【マライヤ・クレム夫人宛-1949年9月18日-】

(前略)

ぼくはノーフォークで講演しましたが、マジソンハウスの勘定を払ってあとに二ドルと少し残りました。聴衆は相当程度の高い人たちでしたが、ノーフォークは小さな町ですし、同じ晩に二つ催しがあったのです。来週月曜にまたここで講演しますが、大勢聞きに来るだろうと期待しています。火曜日にはラウド夫人の詩を見てあげるためにフィラデルフィアへ出かけて-多分木曜日にはニューヨークへ発てるでしょう。

(中略)

ぼくはまだあなたにただの一ドルだって送ってあげれません-でも元気でいてください-ぼくたちの苦労もほとんどもうお終いになるでしょう。

(後略)

 この年10月3日にボルチモアの路上で意識不明となって倒れているポオが発見され、10月7日永眠する。まさしく貧乏底なしの生活は「お終い」になったのである。

 以上の抜粋はポオの置かれた生活や背景を窺うことが出来るものを取り上げた。

スタイルとはなにか 9の6に続く

*1:エイブラハム・リンカーン:1809年2月12日 - 1865年4月15日は、第16代アメリカ合衆国大統領。初の共和党所属大統領。彼の大統領就任はアメリカ合衆国を二分し、南北戦争に結びついた。アメリカ合衆国アメリカ連合国の戦いであるAmerican Civil War, 1861年-1865年は文字通りの「総力戦」だった。

*2:アルフレッド・テニソン1809年 - 1892年、イギリス桂冠詩人。『Poems by Alfred Tennyson』、『イノック・アーデン Enoch Arden』等がある。

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