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敵も愚民である

-愚民唯我独尊ごろくより-
 

2007-04-28

[]なぜ私は今も書いているのか 16:52 なぜ私は今も書いているのか - 愚民の唄 を含むブックマーク はてなブックマーク - なぜ私は今も書いているのか - 愚民の唄 なぜ私は今も書いているのか - 愚民の唄 のブックマークコメント

 私は私自身をよく知っているつもりだ。そしてまた私は今最低の気分になっている。また私は私自身のことをここコンポラGで誰かにわかって欲しいというつもりも今となれば無くなった。心の奥底にしまってきたものを今後少しづつここに書いてゆくつもりだ。またここで書くことについては古くさいと言われようが狂人と言われようがどのような批判も受けてゆくつもりである。そしてこういう言辞で皆さんが共にやることが出来ないと思うならば去ってゆけば良しと思うようになってきている。こんな事は久しぶりに起きた心の現象である。また言っておくが、もともと退会はボタンひとつクリックすれば出来ることである。しかしそれを誰にも求めはしない。ただ私が責任者である以上私がそれをクリックすることだけは出来ない。またシステム上も出来ないようになっているのでみんなは安心して欲しい。

 さて、では始めよう。

 ぼくたちは「呪海」-創刊号-を刊行に至らせるまで一年以上の徒労を要した。これには物理的、経済的な制約があげられるが、このことは何も「呪海」に限ったことではなく様々な同人誌が等しく背負っている問題でもある。にもかかわらず一年あまりの時間は徒労に過ごされた。

 これにはぼくらが元来もっているところの誠実さと無知とが原因となった。「呪海」は文学を志す者すべてに門戸を開くという唯一の原則をもっているということから、、誰かまわずとぼくたちは接し、そのあげくが文学ゴロにひっかきまわされるというぼくたちの頓馬振りを示したのであった。誠実さが泣きをみるということが痛いほど身にしみた体験であった。そしてぼくたちはこのような甘えを造りあげている文学者共の正体をも一瞬、この時見たのであった。ぼくたちは断じて彼らゴロツキ共を許すわけにはいかないだろう。

 今となってはもはやぼくたちはただひたすらに書くのみである。書くことでのみ書く根拠を得ることができるという情況をを受けとめることでぼくたちは自立した表現行為をうちたてているのだ。

 -「呪海」創刊号編集後記より1970年10月-

 1969年に三人の男が同人誌の発刊を企てた。私は22才だった。詩を書く者がふたり、小説を目指す者がひとりであった。創刊号の編集後記は私が書いた。そして私はその後徐々に仕事の世界に埋没してゆき、私は他のメンバーも増えてきた頃の「5号」を最後に自分の才能の無さとそれに伴った書く意欲の喪失と共に深い敗北感に苛まれながら最低の人生を歩むこととなった。そして私の居ないあいだにも残りのメンバーで「呪海」は年一回というペースではあったが発刊され続けていき、私に送り続けられていた。1979年7月第10号が結果的には最終号となった。『結果的』という言葉を使ったのは編集を担当していた詩人御堂勝の自殺によって結果的に最終号となったのである。葬儀は先日もコンポラGのコメント欄で書いたように私が葬儀委員長であった。無論色々な関係から私の意志にかかわらず葬儀のとりまとめが出来る者が私しかいないと言うことが当時残った同人達によって決められたのである。そして彼の家族が列席も拒む最低の葬儀*1を執り行った。今も悪夢のようにその時の模様が記憶の隅から消えることはない。また御堂勝は他の同人誌にも寄稿していてその関係者の方々も出席していた。そして葬儀後、遺稿集を出すという発言が大勢を占めそのことについて唯一後ろ向きであった私が弾劾されたのである。なぜ後ろ向きであったかという理由を私は死ぬまで書いたり言ったりすることはない。そして遺稿集は御堂勝が「あぽりあ」の同人も兼ねていたという関係で詩人坂井信夫達の手によって成された。その当時の詩人達の一部の動向は坂井信夫の「講演」などでも知ることが出来、御堂勝の「遺稿集」にも触れられているからみなさんも読んでみるのもいいだろう。御堂と私は詩を書く者と小説を書く者との違いがあったが喧嘩も絶えない兄弟のようでもあった。現に東京では半年近くも4畳半のボロアパートの一室で共に生活をしていた時期もある。そしてその当時、御堂からたくさんのことを私は学んでいた。一番学んだのは「言葉」であった。つまり言葉の重みであった。そして彼はその重たさゆえ自死を選んだのだと私は今も思っている。彼が死ぬ20日程前に電話がかかり私は何とか仕事の都合を片付けて東京へ深夜車を飛ばした。彼の言要のただならぬ気配で彼の住む板橋のマンションに向かったのである。だが在室であるに関わらず彼は私のためにドアを開けようとせず意味不明のことをドア越しに叫ぶだけであり私はドアの前で呆然と立ちつくすしか無く、翌日あきらめて北陸へ戻った。そして20日ほどしてから彼は首を括った。死に顔は決して美しくなく浅黒く醜くもあったが、だが私はそれが美しいと感じた。後で知ったことであったがその頃にはもう夫人や娘達は家を出て行ってしまっていて、御堂も一切の働きを止めたままであったということを知った。

 私はここで皆さんにこれらのことをわかって貰おうとは決して思いません。同人誌という古くさい言葉の意味と言葉の持つ重たさを知って欲しいだけなのだ。いかにも同人誌は古いとも言えるが意味もわからず皆さんに語られる事は今後一切拒否する。また、ここにいてさえ自分の書くことに意味を見つけられない者や、まやかしの言葉に奢る者はこのコンポラGからたった今去るべきである。どのみち、そのような者が書くものはその言以下でしかない。しかし書くことが唯一無二とまでは言わないが意味あるものと思う者は、うまいとか下手ということに関わらず今しばらく我々と一緒にやっていくべきである。それをCUが待っている。

 どうもコンポラGで書くという行為を勘違いして振る舞っている者もいるようだ。また「自由」とか非自由とかという言葉はどのような意味があるというのだ。id:akkyに聞くことがある。本質的な自由というものはどのようなものなのであろうか?自由が本質的に目指すところのものはいったい何なのであろうか。古い時代には、と言ってもフロイド的な時代のことだが自分の鎖は自分が作り出したところから鎖を見るという人間の潜在的な意識の有り様を分析して見せた。つまり鎖に縛られたと思うに至る己の幻想で鎖に縛られた人間を見せてくれたということになる。もしこれがきみの言う意味であればきみは類あるものとして凄く古い人種であるという証明になる。

 そうでないなら次に行こう。それから後の世は現象学を経て人間のもっと深い存在の有り様をサルトルは世界内存在として捉え、個人の自由は全的にも全ての人間が自由になることでしか果たせ得ないのではないかときわめてカント的に捉えた。ではこの自由のことなのか?

 違うのであれば更に言うがきみの自由とは何なのだ?どのような位相でここにその非自由さがあるというのだ。ではこちらからその位相に下がって言わせて貰うが自由とは「孤独」に決まっていることは小学生でさえ知っていることである。対他的関係の消滅する孤独というものこそ、その意味では自由であると言うことであって、ここにはいかなる拘束事項もない。孤独という自由が嫌であれば、いかなる自由が欲しいのだ。そしてまたきみが言うような孤独でない自由というものがあるのであろうか?そんなに非自由に書きたいのならば自らのブログへ戻り、いままで通り非自由な「メタブログ文章」を書けばよろしい。

 そして皆さんにもついでに言いたい、私にこれ以上何を言って貰いたいのだ。私が言いたいことはそれだけである。そしてCUの諸君、君たちはそこのところはよくわかっていると思う。そう思って私はフォーラムでぬーん氏が私にくれたメールの一部を公開したのだ。CU以外のコンポラGの皆さんのために抜粋だけ以下に転載しておく。

言葉の力とは何なのか。文学の使命とは何か。この古くさいテーマを今この時代に真剣に考えることが、いま僕らが直面している課題なのだと思っています。なぜならそれは少しも古くなく、いまもなお力を持つ問いであると僕は信じるからです。

-ぬーん郵便より-

そしてまた、言葉は言葉によって復讐されるのだ。言葉の重たさとはそういうものであり、書くことに依ってしか視ることは出来ない。

おわりに御堂の「呪海」における最後の詩を以下に全文掲載する。

生殺し・・・・・・

攻めることもできず

守ることもできずに

きみはただじっとしているだけ・・・・・・

死ぬこともできず

殺すこともできずに

きみはただやっと生きてあるだけ・・・・・・

そして

きみはただとどまるだけ・・・・・・

そこにあるだけ

一本の線がつづいてある

それは

直線だったり

曲線だったりして

そこにあるそして

ここにいるきみの視角には入ることもなく

死角の方にきみをおいつめる死線

きみはそこで解放されることもなく・・・ ・・・

きみはよこたわる

よこたわることで仮の安息を得る

が きみの曲がりくねった列島は

四肢の隅々で

流れない時間の対流と

彎曲した空間の疲労を

いまここのマンションの入江に沈殿させる

生殺しの妄想と

歪曲されたきみの現実

ふみだす過程(プロセス)もなく・・・・・・

きみの階段はとぎれる そして

つかれた魚のように朝靄のなかを

浮遊する きみの歩行

一瞬 - バスを降りると

きみはそのままの姿勢で群衆の中にある

あきらかに光景は

夕刻時の立ち会い演説会であるというのに きみは

同致できない朝の空間を時代の方に引きずっている

いまここの時の段階(きざはし)に・・・・・・

攻めることも守ることもできず

きみがただみつめるだけの疲労

 - 関係はかんけい自体で

きみの昼と夜の活生が別たれている

いまここの彼岸

そして

小鳥たちの叫びの鋭(さき)の方で

匕首がはしる

生殺しの日々・・・・・・

きみの手の失業か

  -御堂勝(呪海10号1979年)-

■追加

あぁ、見ると関連してMさんから『思い出の同人誌』というエントリが書かれていますね。それに対する答えではありませんがトラックバックを打たせて貰います。

*1:結果的には私が懇願し夫人と娘を出席させることが出来た

トラックバック - http://c-u.g.hatena.ne.jp/namgen/20070428

2007-04-24

namgen20070424

[]スタイルとはなにか 9の6(その2) 14:16 スタイルとはなにか 9の6(その2) - 愚民の唄 を含むブックマーク はてなブックマーク - スタイルとはなにか 9の6(その2) - 愚民の唄 スタイルとはなにか 9の6(その2) - 愚民の唄 のブックマークコメント

『構成の原理』2

 では論を更に進めてみよう。

 ポオは『大鴉』を発表して1年後『構成の原理』で以下のように力説するのであり、花田清輝の指摘のようにこれが『構成の原理』で言いたいことを或る意味では簡潔に述べているとも言えよう。

その構成の一点たりとも偶然や直感には帰せられないこと、すなわちこの作品が一歩一歩進行し、数学の問題のような正確さと厳密な結果をもって完成されたものであることを明らかにしたいと思う。

  -『構成の原理』篠田一士訳-

 そして花田清輝は『構成の原理』においてのポオのこの言を取りあげ明快に以下のように言っている。また考えようによっては『構成の原理』に対して誰もが最初に抱くことであるとも言える。W・H・オーデンも指摘していたように従来の詩人、文化人、及び取り巻く大衆の先入観をゆるがすためにも意図的に書かれていると言う印象である。だがそれはあくまで我々が最初に感じる印象でしかない。

周知のように、この論文のなかで、ポーは、かれの有名な詩『大鴉』がいささかも偶然や直感に依頼するところなく、砂糖をいれ、塩をいれ、とろ火で煮たて、やがて一皿の見事な料理ができあがるように、「数学の問題の正確さと厳密な因果関係をもって、一歩一歩、その完成にむかって進行していった」次第を物語る。かって私は、正直なところ、こういうポーの言葉を、すこしも真面目に受けとろうとはしなかった。私の読みとったものは、大衆の鼻をつかんで引きまわしてやろうという不敵なポーの面魂であり、たちまち霊感をふりまわす凡庸な詩人への皮肉であり、さらにまたかくも特異なテーマを、かくも無造作な調子で表現することによって、かえって強烈な印象を読者の心に喚起しようとする、この論文の「構成」の巧みさであった。

 -「ポー終末観」花田清輝 1941年-

 しかしW・H・オーデンもいっていたポオのその他の批評のことも考えればポオにとってサロン界が収入の道のひとつであったことも考慮の内に入れておかなければならないだろう。つまりへっぽこ詩人達の批評を書くことによって生計の糧のひとつになっているという当時のポオの文化人としての姿が見えるはずでもあるのだ。だが、それらのことを横に置いても、『構成の原理』はポオにとって言いたいことが言えた批評のはずである。しかし、21世紀の今の我々にとってその書かれた内容を自ら持ちうる観念と照応させ、なおかつ、その意識でもってただ遡行し古典的なものを断じていいものでもない。まず『構成の原理』を読んでいて我々が素直に感ずるのはその一種古典的な論理と、それにも関わらず当時のポオの持っている情熱である。今まで誰もがその当時取りあげなかった詩作領域への形式と表現への言及なのである。そしてまたそれにいたる彼自身の誇りと既成概念に対するアンチテーゼというべきものも見ることが出来る。つまり旧態依然の状態への彼の目一杯の主張であるとまずは読みとるべきだと思っている。

以上の考察と、大衆の好み以上でも批評家の好み以下でもないと考えられる興奮の程度とを思い合わせてみたとき、ぼくは自分が構想した詩作品に適当と思われる長さを即座に考えついた。即ち百行の長さだった。実際には百八行(『大鴉』の詩行数)ある。

  -『構成の原理』篠田一士訳-

 まず彼は文学作品というものの長さについて触れ小説、散文と違い詩作品には効果を考えると自ずから長さの限界があり、「短さ」が効果の強さに正比例するはずなのだという論を展開する。つまり詩の外見的な「形式」について触れているのであり、読み手が受けうる詩的イメージに美を感ずるには適度の長さというものがあるというわけである。それは決して長いものではなく限界というものがあって然るべきだというのである。そして次に詩的言語と言うべきか、言葉が創り上げてゆく美の領域の根底には美表現へのトーン(調子)というべきものがあって、それが最高潮に達していれば人を最高の美に酔いしれさせることが出来るという論調に進んでゆく。ポオはその調子(トーン)のことを「悲哀の調子」ということによってその調子が奏でるものこそが表現美を形作れるのであり読者に感動を呼び起こすことが出来るとして『大鴉』において重用されている技法上のリフレィンやその使い方にヴァリエーションを持たせ絶えず新たな効果を与える手法、そして言語の持つ音韻のことに迫ってゆくのである。

  -スタイルとはなにか 9の6(その3)に続く-

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