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敵も愚民である

-愚民唯我独尊ごろくより-
 

2007-05-14

namgen20070514

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『構成の原理』3

 『構成の原理』におけるポオの手法なりを検証する前にその論の対象となっている『大鴉』についての簡単な輪郭を述べておきたい。ポオはまず『大鴉』の詩を書くにあったって大まかな構成を作ったと言っている。その詩の実際のプロットの展開とは以下のようなものである。

 恋人と死に別れた男がその面影を断ちがたく自分の部屋にいた。深夜その恋人への思いを忘れるために古い書物を読んでいたがついまどろみかけているところに何か部屋の戸を叩く音がする。戸を開けてみてもそこには誰か居るわけでもなく外には暗闇しか広がっていなかった。もしかしたらその音は死んだ恋人のではとその名を呼ぶが答えもなく、やがて一層強く戸は叩かれ、よろい戸を開けると羽音を響かせながら壁の胸像の上に下り立ったのは一羽の堂々とした大鴉であった。そして男はその大鴉に問う。大鴉は次々と問う男に対して"Nevermore"と答えを繰り返してゆく。男は大鴉に最後には去りゆくように哀願するがその男の言葉を無視するかのように胸像に止まったまま"Nevermore"と答え、その大鴉の瞳の前で逃れることも出来ず釘付けになったままの男の姿で終わっている。まさしく「愛の傷心のテーマ」*1がそこには綴られている。

 『大鴉』の詩の中で繰り返される"nothing more"に始まり"Nevermore"という言葉で繋いでゆく手法こそが本論『9の6(その2)の「構成の原理」2』でポオが言うところの技法上の変化を持たせるための韻を踏んだリフレィンの言葉でもある。とりあえず"nothing more"のあと"Nevermore"もしくは"nevermore"としての使われ方として以下その大鴉がアテナイパラス胸像の上に止まってからの詩句の中の六行を引用する。また引用した訳*2としては福永訳と松村訳を取りあげてみた。また、本論の筋から離れた余談でしかないが、"Nevermore"の訳としては前後の詩句関係から松村達雄が採った「またと告げじ」、「またと去らじ」、「またとあらじ」、「またと忘れじ」という訳し方から、阿部保の「またとない」、福永武彦の「最早ない」や安藤邦男の「もはやない」、noon75の「ありえない」と統一してしまう訳があり、必殺技としては加島祥造のとった"Nevermore"もしくは"nevermore"と原文のままとしたものがあるということを付け加えておこう。

Then this ebony bird beguiling my sad fancy into smiling,

By the grave and stern decorum of the countenance it wore.

"Though thy crest be shorn and shaven, thou," I said, "art sure no craven,

Ghastly grim and ancient raven wandering from the Nightly shore-

Tell me what thy lordly name is on the Night's Plutonian shore!"

Quoth the Raven, "Nevermore."

     -extracts from The Raven


その時黒檀のこの鳥は、重々しくいかめしげな表情を

その顔に浮かべて、私の沈んだ気分を微笑へといざなった。

『お前のとさかは剃ったように短いが』私は言った。『お前は臆病者の、

薄気味悪い、夜の岸からさ迷い出た古えの鴉ではない-

語れ、夜の領する冥府の岸にお前の王侯の名を何と言うのか!』

     鴉は答えた、『最早ない』

     -福永武彦訳-


やがてこの漆黒の鳥のつんとすました物々しい顔つきに、

沈んだ気分もついに解きほぐされて微笑と変わり、わたしはつぶやいた。

「鶏冠こそ短く削ぎ取られてはいるものの、よもやお前は

夜の岸辺からさ迷い出た、臆病者の、うす気味悪いそのかみの鴉ではあるまい-

夜が統べる黄泉の国の岸辺にあって、王者たるお前の名は何というのか」

鴉は答えて、「またと告げじ」

     -松村達雄訳-

 ポオがこの『大鴉』の詩*3を構成するにあたり考えたことは韻を踏み尚かつリフレィン出来る各連の結句とはどのような言葉なのかということであった。まず長くのばせて悲哀の調も兼ねる言葉を考えに入れたと言っていて、長く引き延ばせることが可能な子音のrと響きよく感じられる母音のoが結びつかせることを考えたと言っている。そして真っ先に浮かんだ言葉が《Nevermore》であったのである。そしてその言葉を何度も用いる口実として人間と違い理性を持たない生物としての鴉を選んだとも述べている。鸚鵡を選ばずに鴉を選んだのはテーマである憂鬱に屈折している恋人を失った男の心象を表すのには鸚鵡ではどうしようもなく、不吉だと思われる鴉を選んだとも付け加えている。そして言葉の持つ意味的な喩にヴァリエーションを持たせるために以下のような構成の仕方をしたといっているのであり、わたし流の解釈としては言葉の持つ意味性を鴉に向かう意識の対位置的な問いによってその意味性を超えて喩的な像領域の変化を目指したということを言っているのだと思う。つまり空間性としての意味喩と時間性を帯びた自己の思想的な暗喩の意味を含めていると言うこととして解釈すればいいのではないかということである。

そこでぼくは、死んだ愛人を嘆いている男と、絶えず、《Nevermore》という言葉を繰り返している鴉との二つの観念を結びつける必要に迫られた。反復される言葉の使い方を、それが出てくるたびに変化させようという意図を懐いた上で、両者を結びつけなければならなかったのである。ところがそうした結びつけ方で納得できるものといえば、鴉が男の問いに答えてその言葉を使うところを想像する以外にない。こうしてぼくが依拠した効果、すなわち使い方の変化による効果に、機会が与えられたことを即座に了解した。男が最初に発する問い、つまり鴉が《Nevermore》と答えるはずの最初の問いは平凡なものにしておいて、第二の問いではその平凡さを少なくし、第三の問いでは更に少なくするといういうようにしてゆけば、男も、その言葉自体の憂鬱な性質や、その度重なる反復によって、またこの鳥が噂に聞いた不吉な鳥であることを思いあわせて、将来迷信に無頓着だったのが、ついには迷信の擒となって、狂ったように全然異質の問い、その答は情熱的に彼の内心に秘められているような問いを発するようになる-

  -『構成の原理』篠田一士訳-

 さらにポオは考えれる限りの悲歌と絶望をこめての問い、つまりクライマックスとして《Nevermore》に向かう最後の問いを連としたものは最初に既に出来上がっていたとも言うのである。まさにこの言い様はポオ以前の先達者達の詩表現の秘密を自らの詩に当てはめて分析して見せたような言いぶりにも聞こえる。またそれは当時に於いてはこの『構成の原理』がもっともらしく聞こえたことも推測するに可能でもあるようにも思われる。だが、よくよく考えてみると一体そのような論理で最初から最後まで詩が表現できるものなのかということには疑問を提示せざるを得ない。そもそも詩に対して小説のような「構成立て」をして韻を踏みながら表現できるものなのだろうか、という疑問である。さらに現代人である私はガストン・バシュラールの次の言葉*4を思い起こすのである。『他のあらゆる形而上学的経験が、果てもない前置きをもって準備されるのに対して、詩は前提、原則、方法、証明といったものを一切拒否する-「詩的瞬間と形而上学的瞬間」』と。

 -スタイルとはなにか 9の6(その4)に続く-

*1加島祥造がThe Ravenを訳したあとがきでそう名づけている。

*2:The Ravenの日本語訳として私が参照している訳者は以下の六人である。阿部保松村達雄福永武彦加島祥造安藤邦男noon75の六氏の訳文を参照させて貰っている。そしてあえてもうひとり付け加えれば自分と言うことになる。ただしへっぽこ翻訳しかできないので除外した。

*3:「大鴉」の全文と音声朗読については「書架」を参照して欲しい。クリック

*4:トップ写真はガストン・バシュラール。以下は『夢見る権利』より引用

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