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敵も愚民である

-愚民唯我独尊ごろくより-
 

2007-12-23

namgen20071223

写真はパリの一角サン・ジェルマン・デ・プレ





[]批評の本質 16:04 批評の本質 - 愚民の唄 を含むブックマーク はてなブックマーク - 批評の本質 - 愚民の唄 批評の本質 - 愚民の唄 のブックマークコメント

保坂和志と高橋源一郎そして笙野頼子氏等に端を発した『小説は小説家にしかわからない…』事件って『事件』なのかどうかは別としてなんか色々とネットをヲチしてたんだが私から見ると「論争」といえるものなのかどうか分からない。一種の文壇政治ゴシップみたいに思うのは不遜であるかも知れないが見え隠れする作家という矜持に違和感みたいなものを持ってしまった。いわゆる作家先生の鼻持ちならなさみたいなものに不快の念を禁じ得なかった、と云う風に言ってもいいだろう。しかし今となれば記憶の隅っこに移動してしまっていて当初感じた苛立ちは消えてしまっている。

しかし、最高の批評は作品からおもいがけないものをつくりだす創造作業だ。作品に価値を与えることができる。作品を鐘になぞらえてハイデガーがそういっている(とブランショがいっている)。批評はその鐘を打つ打ち方で、だれも聴いたことのない響きをつくりだせたとき、その批評は最高の批評なのだ、と。しかも、その批評のあと、その響きは、はじめから鐘が持っていたものだとされる。作品を輝かせると、そのときにはもう批評は消え去る。触媒に、「消える媒介者」にすぎないものとなる。その消滅こそが、批評のほこりなのだ、と。

 -「欲望なんてものはない」-坂のある非風景-

 批評が批評たりえるのはM氏がいうとおり作品の雰囲気を批評家たるものがどう伝えることが出来るのかでしかない。そしてその点で批評も文学という範疇に棲息出来うるものだと思っている。そして批判も批評のひとつでもあることは自明である。また世に棲む作家と呼ばれる人たちと批評家と呼ばれる人たちのせめぎ合いも有りとしなければならないだろう。読者というものが存在する限り「批評」と呼ばれるものも存在するのだ。レヴィナスは読み手となっている人たちを「受容者」と呼んでいて『現実とその影-Emmanuel Lévinas1948年』のなかで批評の本質を以下のように述べている。

マラルメを解釈することは、マラルメを裏切ることではなかろうか。マラルメを忠実に解釈することは、マラルメを抹殺することではなかろうか。マラルメが曖昧に語ったことを明晰に語ること、それは、マラルメの曖昧な語りの無効性を明かすことではなかろうか。
文学の営みとは区別された機能としての批評、専門的で職業的な批評は、新聞や雑誌の文芸欄や書物として登場するのだが、そうした批評がうさんくさいもの、存在理由なきものと映るということも、もちろんありうるだろう。
けれども、批評の源泉は聴衆や観衆や読者の精神のうちにある。こうした受容者たちの振る舞いそのものとしての批評が存在するのだ。美的喜びに溺れることで満足することなく、受容者は、語らなくてはならないという抗しがたい欲求を感じる。
芸術家が作品について当の作品以外のことを語るのを拒む場合にも、受容者の側には語るべきことがあるということ、-黙って観照することはできないということ-、それが批評家の存在理由である。
批評家をこう定義することが出来る。批評家とは、すべてが語られてしまったときにも依然として語るべき何かを有している人間であり、作品について作品以外のことを語りうる人間である、と。
-【芸術と批評-p303】(合田正人 訳)-

 そして断固それは芸術家が蝿を払うようにしてもそれとして存在するのだ。

[]『この頃はてなに流行るもの』 11:30 [http://c-u.g.hatena.ne.jp/akky20050605/20071222/1198313844:title=『この頃はてなに流行るもの』] - 愚民の唄 を含むブックマーク はてなブックマーク - [http://c-u.g.hatena.ne.jp/akky20050605/20071222/1198313844:title=『この頃はてなに流行るもの』] - 愚民の唄 [http://c-u.g.hatena.ne.jp/akky20050605/20071222/1198313844:title=『この頃はてなに流行るもの』] - 愚民の唄 のブックマークコメント

 ちょっと苦笑せざるを得ないがid:akky20050605らしいといえば言える。素直といえば素直、まじめといえばまじめ。ヴェントン氏なんかはよくネガコメとか言っているので『おまえがいうな』といわれそうではある。twitterなんかは「年寄り」という言葉を隠れ簑にしながらオトボケじじぃで通すことにしている。所詮くぐってきた時代とか環境とかも違うので年長者としては若いヒトに合わせてゆくしかない。そういう点ではMさんこと井上さんは根気強く、時々破裂しているのを見るのみだ。ま、仄めかしの得意なヒトは居ますが『陰口』だけはないと思います。しかし若い人は入門書みたいな新書はよく読んでいるようであるが、それ以上はそんなに居ないみたいだし古典も含めて「原典」みたいなものはあまり読んでいないように感ずる。一冊の本の重みというものはあるんだ、といってみても、俄総知識人、批評人満載雰囲気であり、愚民時代ではないのかも知れない。もっとも所詮ブログはブログでしかないし印刷されたものとの差異は歴然としているのでいらいらすることもないだろう。こんなことをアッキーが書くくらいなら、さっさとtwitterに戻ればいいものを…。あ、ぼくですか?ブログが無くなっても書くだろうし、所詮愚民界ですからヒトのことは気にしていません。

[]文庫本は苦手 10:56 文庫本は苦手 - 愚民の唄 を含むブックマーク はてなブックマーク - 文庫本は苦手 - 愚民の唄 文庫本は苦手 - 愚民の唄 のブックマークコメント

 目の老化がどんどん進んでいて細かい活字の判読が貧しくなってきた。蔵書というほどではないのだが殆どの本が前妻宅に葬られているのでいろいろな不便さを囲っている。代わりに文庫本などを参照しているが所詮文庫本でしか無く、海外物などは新訳にすり替わったりしていて頭の中のイメージとのズレに苦しんだりしている。シニフィエの変容というべきなのかどうかは微妙だが翻訳者も若返っているということの意味は様々錘を垂れ下げている。

f:id:namgen:20071223121922j:image

※写真は古き時代のカフェ・ド・フロールの風景

左からサルトル、ボリス・ヴィアン、ミシェル・ヴィアン、ボーボアール

カフェ・ド・フロールについては参照:「カフェ・ド・フロール」

[]更新しないままに 10:44 更新しないままに - 愚民の唄 を含むブックマーク はてなブックマーク - 更新しないままに - 愚民の唄 更新しないままに - 愚民の唄 のブックマークコメント

 ちょっと私生活上多忙を極めていた。書く暇がないといえば書く暇が無いとも言えるが、書いていたと言えば書いていた。過去ログの整理みたいなことををやっていた。もうちっとわかりやすいように書けないのかとか思ったりして元原稿に加筆や訂正とかしていた。しかし3年も4年も経過しているログなんか手を入れる必要などあるものなのかとも思ったりしているが自分を見つめ直すため、といえばそう言えるし、下手さを思い知るためといえばそうも言える。ま、個体が感じる微温みたいなものだと思っている。

サン=ジェルマン=デ=プレ入門

サン=ジェルマン=デ=プレ入門

akky20050605akky200506052007/12/23 12:45あ。クリリン発動ですねw
twitterのくだりは全然違う方面を念頭においてました。
でもこれ、書いてる僕自身にも多分に当てはまってしまうところがミソです。
まさに「おまえが言うな」ですw
「原文」に合うようにフレーズをひねり出しただけなので、
もともとあまり深い意味はないです。
イライラもしてません。
コンポラでは久々更新ですが、
「日々是」ではだいぶ頻繁に書くようになりました。
楽しんで書いてますよw

namgennamgen2007/12/23 13:09ぼくも久々の更新なのであまりヒトのことは言えないのです。
きょうのエントリィはtwitterとある部分では連動しているのです。イミフ。

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