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敵も愚民である

-愚民唯我独尊ごろくより-
 

2008-08-13

namgen20080813

[]アデンからハラルへ-「ランボー、砂漠を行く(アフリカ書簡の謎)」- 16:57 アデンからハラルへ-「ランボー、砂漠を行く(アフリカ書簡の謎)」- - 愚民の唄 を含むブックマーク はてなブックマーク - アデンからハラルへ-「ランボー、砂漠を行く(アフリカ書簡の謎)」- - 愚民の唄 アデンからハラルへ-「ランボー、砂漠を行く(アフリカ書簡の謎)」- - 愚民の唄 のブックマークコメント

 アルチュール・ランボー(Jean Nicolas Arthur Rimbaud)が若くして、いわば詩作を放棄して、アラビアのアデンへ旅立ち貿易商社に従事し、その後アフリカアビシニアエチオピア)に渡ったことは広く知られている。そしてそれは一種のランボーの謎となって、さまざまな論究が為されていることも承知している。しかし、やはりこれは謎なのであり、凡人の想像力をくすぐる文学上のミステリィとも言えるだろう。

 さて、この書はまさしくランボーアデンとハラル間を行き来し、最後の地として故国マルセイユの地で妹イザベルに看取られながら37歳で亡くなるまでの書簡を文学的想像力によって出来るだけ時空間を拡張せしめた労作であるといえる。また、ランボーの「詩」と「書簡」との間にある、つまり、詩作をやめた21歳からアデンに始まりマルセイユで終わる個人史的時間の前後差をその関係の絶対性とも言うべき中からランボーの繰り広げた詩的言語空間に逆照射させてみせたものでもあるといえよう。著者鈴木和成氏がいみじくもランボーに取り憑かれるように惹かれ取り組んできた中で思念に残るものをその本書の「追い書き Voici la date mystérieuse」の初頭で『私はランボーをいつでも”終わり”から読んできたような気がする。』と書き記している。まず謎を解く「アフリカ書簡」がはじめにあり「地獄の季節」、「イリュミナシオン」があったという鈴木氏の気持ちがそのまま「ランボー、砂漠を行く」に結実化したものと思われる。

 また、彼の師である井上究一郎教授*1 との研究室でのやり取りも一種の禅問答のようで興味深く、研究者としての井上究一郎の凄さを窺わせる。

 「ここに神秘な日付が来る Voici la date mystérieuse」とマラルメは言う。ランボーにおいて詩が終わり、沈黙が始まる時期のことを言っているのである。詩が沈黙と触れ合い、共鳴し、沈黙へと身を譲り渡す時期、私にはランボーの問題はそこにしか見つけられなかった。修士論文指導教官だった-今は亡き-井上究一郎教授の研究室で、そんなランボー論を書きたいというと、教授は「ランボー論を書こうなんて思ってはいけない。ランボー研究だよ。」と釘を刺された。私は百冊以上の研究論文を読み通し、ランボーの詩が沈黙と触れ合う「神秘なdate」について諸家が述べるところを探索し、カードに採り、それらの資料を元に「『イリュミナシオン』の成立と詩人の死」と題する論文を提出した(これは『ランボー叙説-「イリュミナシオン」考』として1970年に一書となった。)

 その後も、ランボーにおける「神秘なdate」は私に憑いてまわることを止めなかった。

(後略)

  -追い書き Voici la date mystérieuse「ランボー、砂漠を行く」鈴村和成著より-

 後日それは研究室に閉じこもる「研究者」井上究一郎教授から鈴村氏に至る中で確かに鈴村和成氏の「ランボー論」の中核を占めるようになっていったのである。「文学者」鈴木和成の誕生とも言うべきものなのだろう。それは後に続く言葉にいみじくも表れている。

 言うならばランボーアフリカ書簡の一通毎に詩の放棄を行っているのだった。そこに詩があるとするなら、砂漠に風が描き出す風紋に似たものだっただろう。そこでは生成と風解が同時に進行しているだろう。ランボーの詩はそのように詩の放棄と背中合わせになっていた。

 ランボーが詩を棄てた”時”というものは、もしそのような時があるとするならば、それは砂漠の砂のようにどこまでもちりちりに手のうちからこぼれ落ちてゆくものであるに違いなかった。ランボーにとっての時とは、詩の放棄そのものではないかと思われた。

※仏語の出来る方は右記サイトへ:「アルチュール・ランボー書簡集」(1870-1891)

ランボー、砂漠を行く―アフリカ書簡の謎

ランボー、砂漠を行く―アフリカ書簡の謎

*1:井上究一郎(いのうえきゅういちろう、1909年9月14日 - 1999年1月23日)は日本のフランス文学者翻訳家エッセイストウィキペディア

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2008-08-09

namgen20080809

[]うーむ、わらい 15:17 うーむ、わらい - 愚民の唄 を含むブックマーク はてなブックマーク - うーむ、わらい - 愚民の唄 うーむ、わらい - 愚民の唄 のブックマークコメント

 「うーむ、一愚翁。洒落たマネを…。一体どうしたらいいものか。。。」

 前エントリィで「心的現象論-序説」を再読中であることを書いていたのだが、twitterでのやり取りの中でついに本日私の手元に。そのいうところの「本論」が翁より届けられた。たっぷり分厚く2段組となっていて、おいそれと読破するのが困難そうに見える。が、とにかく、「序説」の再読のスピードを上げなくてはなるまい。しかし、この送られた「本論」レンタル本に手をつけるのは躊躇してしまう。今再読している「序説」でさえ無茶苦茶な傍線と書き込みだらけなのだからね。パラパラ専用だったりして。ていうか早く買え!自分。

心的現象論本論

心的現象論本論

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2008-08-05

namgen20080805

[]吉本隆明という巨人 23:30 吉本隆明という巨人 - 愚民の唄 を含むブックマーク はてなブックマーク - 吉本隆明という巨人 - 愚民の唄 吉本隆明という巨人 - 愚民の唄 のブックマークコメント

 はてGは久し振りの更新になる。これも怠惰ゆえのことでしかない。表題にもあるようにここ20日間ぐらいの連日の猛暑でそうとう体力が消耗している。特に最近の日々は蒸し風呂地獄みたいで、やはり年は取りたくないものだと痛感している。私の住んでいる富山県と云うところは地形も地勢も北陸三県の中で夏だけは過ごしたくないところだと思われる。高温多湿の見本みたいな地域で富山湾から吹き込んでくる海風によって、ほぼ毎日のように湿度が87%越えとなる。今日から三日間県の食中毒警報とやらが出ている。いったいそんな警報がいつからあるんだよ、ではある。

 なるべく早い時間に床に入りゴロリと横になりながら、段ボールの奥に最近まで埋まっていた本の内のひとつを読み始めている。つまり随分昔に読んだ本の再読というわけである。「昭和46年9月30日第1刷発行-版元北洋社」とあるから私が23歳の時に買った本である。この北洋社が今もあるかどうかは知らない。索引が末尾に12頁ばかり付いていて本体が326頁ある。製本はしっかりしていて布張りになっている。中を開くといきなり線引きやら書き込み(自分が書き込んだもの)やらでぐちゃぐちゃになっていて当時の悪戦苦闘が甦るように見えた。無論そのような本は今に至るまでケッコウたくさんあった。しかしこの本ばかりは前半部で相当手こずり、なかなか後半に至れなかったという記憶が残っている。なにしろ嘗て遭遇したことのない内容が満載であり、その概念を捕捉するのに相当苦労したことを覚えている。

 さて、その本の名は、といわれれば、吉本隆明*1の「心的現象論序説」という。「本論」が最近出たのでそれを読むためにも「序説」の再読が必要だと思ったのである。なにしろ、「本論」のお値段が8400円(公売前の初回本は云万円だった)もするのだから途中で挫折というわけにはいかない。つまりそれではしゃれにもならないのだ。つまりは当時の「序説」での苦労を再体験する為も含めての再読である。それを終えてから「本論」を購入するつもりだ。無論お金のある人は下につり下げてある「合本」とよばれる愛蔵版を購入されることも自由である。但し寝ころんで読むにはお金の方も重そうではある。

参照:いつも熱く語られる吉本さん。:momouni.com:吉本隆明「心的現象論」:So-netブログ

心的現象論 (愛蔵版)

心的現象論 (愛蔵版)

*1:心的現象論は1965~1997年の32年間書き続けられた

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