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敵も愚民である

-愚民唯我独尊ごろくより-
 

2007-05-22

namgen20070522

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The Raven『大鴉』の愛と絶望の悲劇

 文語的に装った『大鴉』も「悲劇」にはヒロインが必要であるという構成立てになっていて、ポオの得意とする「美女の死物語」の雰囲気を漂わせているといえよう。たとえ恋人が死者になっていても追慕の念の消えない男の被虐的心理を詩として詠おうとしているのである。愛と死という当時の大衆文化*1でもてはやされそうなテーマであるともいえる。またそのことは表現に劇的な意味をもたせるためには既成言語帯に依存するしかなく、また旧時代からの韻律にこだわることによって従来の古典的表現法を踏襲するしかなかったともいえる。またそうでなければ先立つイギリス「文芸」*2に慣れさせられていた一般大衆が読むと言うこともなかったのではないかと思われる。

 アメリカの19世紀の時代は当然といえ18世紀を引きずっていたのであり、独立戦争イギリス文化の影響からようやく脱却しようとしている時代でもあった。そしてアメリカ産業資本主義の急激な発展*3は機械システムの導入をあらゆる業の中に組み入れ、それと共に物流システムも発展してゆくことになった。出版業もこの例外になることは出来ずに「読み物雑誌」を量産化し国内全域に販路を見いだしてゆくという時代も迎えていた。急激な雑誌文化の伸長*4は読者層を増やすと言うことがあっても知的層を増やすこととイコールとはならないことも現実として残った。新たに出現してきた大衆と呼ばれる人達の意識の位相は無学に近いままであったのである。雑誌出版社の編集者という立場にいたポオもまさにそういう時代の真っ只中にいて大衆文化と純粋芸術のはざまにいたということである。

 『ポオの年譜や書簡』を思い起こして欲しいのだが『大鴉』がニューヨークイブニング・ミラー誌によって世に出たのは1845年のことであり『構成の原理“The Philosophy of Composition”』が書かれた1846年にニューヨークへ引っ越ししている。14才の従妹Virginia Clemmと結婚したのは1836年であり1847年にはヴァージニアが亡くなっている。「死美人」のイメージが彼の作品の中になぜ執拗に描かれたのかを最小限書いておきたいと思う。そしてそれが『大鴉』の位置関係とポオの書いた言葉の持ちうる解読にも繋がるものだとも思っている。

 ヴァージニアと結婚して数年の間その母を含めた三人の生活は貧乏であったが愛に満ちた生活であったと想像するに難くない。だが1842年に愛妻ヴァージニアが喀血し5年後には死が待っていたと云う状況にあった。その通り『構成の原理』を書いた翌年にヴァージニアは帰らぬ人となりその二年後1849年ポー自身も絶望の果てに死んでいる。死という影がその生活過程に於いても具体的なものを伴ってポーの脳裏から離れなかったと言うことである。詩篇『大鴉』は大衆文化の狭間に於いてのいわば二律背反とも言うべきポオの芸術主義と生活過程においてのふたつの挫折というポオが持ちえていただろう予感、そういった背景すべてを象徴しているのである。『大鴉』の中で鴉自身が登場してきてからの学者*5との問答を読めばそれがすべて象徴的に暗示されているという解読が出来るのである。そう、その通り、学者の期待感を秘めたどのような問いにも鴉は「絶望」という答えを投げ返してくるではないか。いかにも、「愛と死」という大衆受けするテーマの他にポオはあらゆる事象に対しての「絶望」という言葉を無意識に於いてそこに挿入したのである。そしてその絶望は『大鴉』を書いた四年後1849年に道端で倒れた彼の死*6をもって具現化して39年にわたる人生の幕を閉じる。

終わりに

 さてどうやら私の中ではこの論も終わりを告げた。詩篇『大鴉』を通して独立戦争後に急激に発展し始めたアメリカ社会における文学というものの一端でもこの小論によって窺うことが出来れば、これに叶うことはないと思っている。また、ポオ以外の同時代であるナサニエル・ホーソンやヘンリー・ワーズワースロングフェローをはじめとする作家や詩人にも触れたかったがそれは私の任でもなく学者や評論家先生たちがすでに解き明かしている分野でもある。また『大鴉』のみならずエドガー・アラン・ポオその人についても山ほどの書物や資料も出ている。そういった意味でも私の論は先人達の駆け入った道標があり、それを参照させて貰ったと言うことは幸運でもあった。先人達の遺産に感謝したいと思う。

 また、ポーの様々な軌跡を資料を辿っていた中で文学と社会という一種の二律背反したものをあらためて実感させて貰ったことは大きな収穫であった。言ってみれば過去に於いて教条主義的にまで語られたものにいったん距離を置いて文学というものを見つ直すことが出来たということである。またそれは資本主義が高度に発展してゆこうとする社会の中で文学の価値というものの「値うち」を知ったと言うことでもあるかと思う。そのアメリカ産業資本主義の中で弄ばれてゆくポオの姿は今日の私達にとっても人ごとで片づけられないものをわれわれに教えているのではないかということでもあり売れるものが必ずしも値うちがあるということでないことを現代人であるわれわれが知ることが出来たということでもあった。いわば即物的に値うちがつけられる物の中に芸術はあるものではないという姿をポオの持っていた理想の中に見たような気がするからであった。また大衆の姿というものにポオがいつも悩まされていたと言うことも膨大な資料の中で知ることが出来たということもついでに書きとめておきたい。いわゆる愚民化が高度に発展した社会が現代であることも踏まえポオが死して一世紀半後も同じ問いに我々が立たされているのだと言うことでもあった。

 この小論を書きながら振り返ってみると、もっと細かく言及したいところが次々と出てくるのには相当悩まされていたのであるが、際限の無いようでもあり一つの段落としてこれをもって一端は終えることにする。最初の書き始めと終わり方には相当の開きがあるように思えることは他人の指摘を待つまでもなく充分に自覚していることであり中途半端で終わった観も否定しないが、これも筆力のおよばないことであるとご容赦願いたいところである。多分この小論はいつかあらためて追加や削除が行われ再編集されるものだと思っている。

 また才人であったポオを考えるにあたり次の吉本隆明の言葉を思い出していた。

 かれは、ある真が表現されるためには、仮構を媒介にする方法しかないと考えているか、あるいはすべての真は直接性によってなりたつとかんがえているか、どちらかである。あるいは、かれはじぶんを直接愛憎しているか、できるだけじぶんから遠ざかった姿での、じぶんを愛憎しているかのどちらかである。また、かれはじぶんがある直接のふんいきとして存在していると信じているか、他からみられたときだけじぶんが、真のじぶんとして存在するとかんがえているか、どちらかである。資質としてかんがえれば、詩的な資質も散文的な資質も存在している。

  -「言語にとって美とはなにか 第Ⅱ巻 Ⅴ章 構成論」(吉本隆明)-

 これからするといったいポオという才人は詩人であるのか小説家であるのかということになるが、今の私には両方であるとしてしか答えることが出来ない。

 終わりにあたってこの論を書くきっかけを作り、尚かつ若さで溢れた「The Raven」の試訳を提供してくれたnoon75氏に感謝したい。彼から受けた様々な叱咤激励を決して忘れるものではないというと共にまた彼自身の翻訳のプロという一面を覗かせてくれたことも嬉しかったと言えるだろう。最後にあたって近い内に彼が目指すところの文学賞が必ずや獲れることを私は誰よりも願っていることも書きとめておこう。

  -この稿終了-

*1:ポオは雑誌編集者としても優れた才能を発揮していて大衆が好む物を知っていた。当時のアメリカにおける産業資本主義の発展は今までの農本主義的な中で生きてきた大衆像を変えてしまった社会を迎えていたのである。つまり大衆文化が芽生え初め新たな読者層が出現してきたのである。しかし所詮は大衆文化でしか無く奇をてらった物が人気を集めていた。

*2独立戦争後、著作権フリー状態であったアメリカ出版文化は一斉にイギリス文芸、総じて詩や小説など一切の文化の無秩序かつ大量生産的出版に走った。それは逆に生粋のアメリカの詩人小説家に出版の機会も奪ったという情況も示している。

*3:アメリカは農業社会から工場生産を主体とする産業資本主義社会に変貌を遂げつつあった。そして機械技術の発展は人間をその労働の軽減化を図るものとされ、拠って人間の平等をもたらすとする信条とデモクラシーが結びついた時代でもあり機械文明礼讃が始まったと言える。そして1848年のカリフォルニアでの金の発見がその拍車をかけることにもなった。-参照:「ポーと雑誌文学」(野口啓子)彩流社版-

*41830年代から1840年代は「雑誌の黄金時代」と呼ばれ50年には四、五千種にものぼったといわれている。

*5:いかにもポオ自身の分身である

*6ヴァージニアを失ってからのポオは完全に生きる気力を無くしていてアルコール漬け同様であったといわれている。またそれが彼の奇言癖を増長しほとんどの友人といわれる者や庇護者と呼べる者達も遠ざかり、孤独の内に死んだ。

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2007-05-19

namgen20070519

[]スタイルとはなにか 9の7 11:09 スタイルとはなにか 9の7 - 愚民の唄 を含むブックマーク はてなブックマーク - スタイルとはなにか 9の7 - 愚民の唄 スタイルとはなにか 9の7 - 愚民の唄 のブックマークコメント

The Raven『大鴉』という詩篇

 さて、われわれは現代の世界に存在してその世界というものに規定されている。その世界といういわば人間の意識の存在そのものは一種の累積された歴史を土壌とした中に立たされている。つまりその世界に於いてひとつひとつのコギトはいるというように見える。そして更に言えばそれなるコギトのファンデーションとも言えるところに時代の下部に共有されているかのように無意識の領域がある。われわれの意識は好むと好まざるに関わらずその中から形の上では出ることはできないようにも思える。19世紀の思考は19世紀の観念世界のシステムというべきものの上にあるというのは間違いではない。だが一方で言葉は書かれたときからその時代の表現となり、創造された作品はその時代を現す思想となり、想像力によって表現されたものは時代を架橋するものとしてある。だからそれを見ると言うことは19世紀を孤として切り取ることではなく、その探索から得れるものは原始からの言語の累積史を包括したものであり、その時代のエピステーメーを超えて21世紀の現代にフィードバックさせるものになるはずである。

 下記に『大鴉』の全原文を載せ、"nothing more"から"Nevermore"を結びとする「全連」を分けて、つまり長くはなるが『大鴉』を「連」毎の松村達雄訳と共に掲載した。そして『大鴉』そのものについて語る前に、ポオは詩人であるが小説家でもあった。当たり前のことではあるが言っておきたい。

         The Raven[First published in 1845]


Once upon a midnight dreary, while I pondered weak and weary,

Over many a quaint and curious volume of forgotten lore,

While I nodded, nearly napping, suddenly there came a tapping,

As of some one gently rapping, rapping at my chamber door.

`'Tis some visitor,' I muttered, `tapping at my chamber door -

Only this, and nothing more.'

あるわびしい真夜中のこと、心はいたく倦み疲れて、

遠き世の学問をつたえる奇書の数々をひもといていた-

こくりこくり思わずまどろみかけたとき、だしぬけにこつこつ戸をたたく音、

だれやらがそっと静かにわが部屋の戸をたたいている。

わたしはつぶやいた、「だれか人が来て、部屋の戸をたたいているようだ-

なに、ほかでもない、ただそれだけのこと」


Ah, distinctly I remember it was in the bleak December,

And each separate dying ember wrought its ghost upon the floor.

Eagerly I wished the morrow; - vainly I had sought to borrow

From my books surcease of sorrow - sorrow for the lost Lenore -

For the rare and radiant maiden whom the angels named Lenore -

Nameless here for evermore.

ああ、忘れもせぬ風すさぶ12月、

暖炉の火がつぎつぎと燃えつきるごとに、床には怪しい影がゆらめく。

ひたすらに待たれるは朝の訪れ-

わが嘆き-亡きレノアを懐うわが嘆き、忘れんとして空しくも書物をひもとく-

いま天使たちがレノアと呼ぶ、たぐい稀れな、光り輝くごとき乙女-

とこ永久にうつせみの世にその名はなく。


And the silken sad uncertain rustling of each purple curtain

Thrilled me - filled me with fantastic terrors never felt before;

So that now, to still the beating of my heart, I stood repeating

`'Tis some visitor entreating entrance at my chamber door -

Some late visitor entreating entrance at my chamber door; -

This it is, and nothing more,'

真紅のカーテンのあやしくも悲しげな絹ずれの音は、

わが心をさわがせ-わが胸をためしも知らぬ奇怪なる恐怖の数々でみたす。

そこでわが胸さわぎを静めんものと、わたしはたたずんだまままた繰り返す。

「だれかがやって来て、部屋の戸をあけてくれとたたいている-

なに、ほかでもない、ただそれだけのこと」


Presently my soul grew stronger; hesitating then no longer,

`Sir,' said I, `or Madam, truly your forgiveness I implore;

But the fact is I was napping, and so gently you came rapping,

And so faintly you came tapping, tapping at my chamber door,

That I scarce was sure I heard you' - here I opened wide the door; -

Darkness there, and nothing more.

やがてもっと大胆になり、今はためらうこともなく、わたしは声をかける、

「どなたですか、いあや、御婦人かも存じませんが、どうも失礼申しました、

じつはうとうとしておりまして、それにほんとにそっと来てたたかれたものですから、

ほんとにそっと来て、部屋の戸をたたかれたものですから、

どうも音がしたのやら、しなかったのやら」-そういってわたしはからりと戸を開けた-

そとは真くらやみ、ただそれだけのこと。


Deep into that darkness peering, long I stood there wondering, fearing,

Doubting, dreaming dreams no mortal ever dared to dream before

But the silence was unbroken, and the darkness gave no token,

And the only word there spoken was the whispered word, `Lenore!'

This I whispered, and an echo murmured back the word, `Lenore!'

Merely this and nothing more.

くらやみの奥をのぞき込み、怪しみつつ怖れつついつまでもたたずんでいた、

いぶかりながら、且つ、何人もいまだ知らぬ夢を夢みながら。

だが、沈黙は破れず、静寂は何の手答えも示さない、

そこでわたしがささやいたのはただ一言、「レノア!」

そうささやくと、こだまは同じ言葉を返して、「レノア!」

ほかでもない、ただそれだけのこと。


Back into the chamber turning, all my soul within me burning,

Soon again I heard a tapping somewhat louder than before.

`Surely,' said I, `surely that is something at my window lattice;

Let me see then, what thereat is, and this mystery explore -

Let my heart be still a moment and this mystery explore; -

'Tis the wind and nothing more!'

燃ゆる思いにあふれて、部屋の中へと取って返せば、

やがてまたきこえたのは前よりはやや強く戸をたたく音。

わたしはつぶやいた、「たしかに、たしかに窓格子のところに何かがいるにちがいない。

さて何がいるのかたしかめて、この謎をはっきりさせよう-

しばし心を静めて、この謎を確かめよう-

なに、風のせいだ、ただそれだけのこと!」


Open here I flung the shutter, when, with many a flirt and flutter,

In there stepped a stately raven*1 of the saintly days of yore.

Not the least obeisance made he; not a minute stopped or stayed he;

But, with mien of lord or lady, perched above my chamber door -

Perched upon a bust of Pallas*2 just above my chamber door -

Perched, and sat, and nothing more.

よろい戸をからりと開ければ、ひとしきり羽ばたきながら、

下り立ったのは、神さびしそのかみの威風堂々たる鴉。

頭一つ下げるでもなく、一刻もじっとはしていない。

さながら王侯か貴女のごとき面持ちで、わが部屋の戸の上へと止まった-

部屋の戸の真うえ、パラスの像の上につと止まって-

止まったままじっとしている、ただそれだけのこと。


Then this ebony bird beguiling my sad fancy into smiling,

By the grave and stern decorum of the countenance it wore,

`Though thy crest be shorn and shaven, thou,' I said, `art sure no craven.

Ghastly grim and ancient raven wandering from the nightly shore -

Tell me what thy lordly name is on the Night's Plutonian shore!'

Quoth the raven, `Nevermore.'

やがてこの漆黒の鳥のつんとすました物々しい顔つきに、

沈んだ気分もついに解きほぐされて微笑と変わり、わたしはつぶやいた。

「鶏冠こそ短く削ぎ取られてはいるものの、よもやお前は

夜の岸辺からさ迷い出た、臆病者の、うす気味悪いそのかみの鴉ではあるまい-

夜が統べる黄泉の国の岸辺にあって、王者たるお前の名は何というのか」

鴉は答えて、「またと告げじ」


Much I marvelled this ungainly fowl to hear discourse so plainly,

Though its answer little meaning - little relevancy bore;

For we cannot help agreeing that no living human being

Ever yet was blessed with seeing bird above his chamber door -

Bird or beast above the sculptured bust above his chamber door,

With such name as `Nevermore.'

この見苦しい鳥がかくも明瞭に語るのを耳にして、わたしはただただ驚嘆した、

その答には意味もなく-的はずれとは思いながらも。

たれしも思わないだろうか、いかなる者もいまだかって、

その部屋の戸の上に、戸の上なる彫像に、かかる鳥を-

鳥かはた獣か、かかるものを眺めたためしもないことを、

「またと告げじ」と、かかる名で呼ばれるものを。


But the raven, sitting lonely on the placid bust, spoke only,

That one word, as if his soul in that one word he did outpour.

Nothing further then he uttered - not a feather then he fluttered -

Till I scarcely more than muttered `Other friends have flown before -

On the morrow will he leave me, as my hopes have flown before.'

Then the bird said, `Nevermore.'

だが、鴉は静かな像にひとり止まって、

さながら魂すべてをそこにこめたかのようにそのひと言をいうばかり。

あとは何ひとつ語らず-羽根一枚すら動かしもしない、

ついにささやくようにしてわたしは、「お前はほかの仲間もすでに飛び去った-

明日ともなれば、数々の希望がわたしを見捨てたように、

お前もまたわたしのもとを飛び去るのであろう」

鴉は答えて「またと去らじ」


Startled at the stillness broken by reply so aptly spoken,

`Doubtless,' said I, `what it utters is its only stock and store,

Caught from some unhappy master whom unmerciful disaster

Followed fast and followed faster till his songs one burden bore -

Till the dirges of his hope that melancholy burden bore

Of "Never-Nevermore."

このうまい答えが沈黙を破ってきこえたのに驚いて、

私は思った。「たしかにこのひと言は、だれか不幸な飼主から、

習いおぼえたただ一つのきまり文句、

つれない不運につけ廻され追いまわされ、

飼主の唄にきまって出てくるのはこのただ一つの繰り返し-

その希望を葬う挽歌はまたしても悲しげなこの繰り返し、

『ゆめ、ふたたび-またとあらじ』」


But the raven still beguiling all my sad soul into smiling,

Straight I wheeled a cushioned seat in front of bird and bust and door;

Then, upon the velvet sinking, I betook myself to linking

Fancy unto fancy, thinking what this ominous bird of yore -

What this grim, ungainly, gaunt, and ominous bird of yore

Meant in croaking `Nevermore.'

だが、鴉はなおもわが悲しい思いを微笑みへと誘い、

わたしは褥おいた椅子をくるりとまわして、鳥と彫像と戸に面と向かった。

ふかぶかとびろうどの褥に身をうずめて、次から次へと空想をはせ、

いったい、そのかみのこの不吉な鳥は、とわたしは考えだす-

いったい、そのかみの、やせさらばえた、見苦しく、すさまじい不吉な鳥は、

どんなつもりで啼いているのか、「またとあらじ」と。


This I sat engaged in guessing, but no syllable expressing

To the fowl whose fiery eyes now burned into my bosom's core;

This and more I sat divining, with my head at ease reclining

On the cushion's velvet violet lining that the lamp-light gloated o'er,

But whose velvet violet lining with the lamp-light gloating o'er,

She shall press, ah, Nevermore!

わたしは鳥のこころに思いを致しながら坐していたが、ひと言も問いかけはしなかった、

火と燃えるその眼はわが胸の奥をも灼いた。

ともしびの光浴びるびろうどの褥に

やすらかにわが頭をもたらせて、わたしはあれこれと推しはかった、

しかし、ともしびの光浴びるそのびろうどの褥に

かのひとの身をよせるときは、ああ、またとあらじ。


Then, methought, the air grew denser, perfumed from an unseen censer

Swung by angels whose faint foot-falls tinkled on the tufted floor.

`Wretch,' I cried, `thy God hath lent thee - by these angels he has sent thee

Respite - respite and nepenthe from thy memories of Lenore!

Quaff, oh quaff this kind nepenthe, and forget this lost Lenore!'

Quoth the raven, `Nevermore.'

やわらかな毛氈の床、足音もかろく歩む天使たちの手に揺れる

見えざる香炉から香は流れ、部屋の空気も濃くなったかと思えるばかり。

わたしは叫んだ、「哀れなるものよ、神はなんじに-この天使たちの手によって神はなんじに

休息を-レノアの思い出を消す休息と忘れ薬を贈りたもうた。

飲め、この心の傷を癒す忘れ薬を飲みほして、今は亡きレノアを忘れよ!」

鴉は答えて、「またと忘れじ!」


`Prophet!' said I, `thing of evil! - prophet still, if bird or devil!

Whether tempter sent, or whether tempest tossed thee here ashore,

Desolate yet all undaunted, on this desert land enchanted

On this home by horror haunted - tell me truly, I implore -

Is there - is there balm in Gilead? - tell me - tell me, I implore!'

Quoth the raven, `Nevermore.'

わたしはいった、この予言者め!災いなる者!-鳥か、はた悪魔か、ともあれ、この予言者め!

サタンがよこしたか、あらしが吹き送ったか、お前をこの岸に、

すさまじい、されどおめず臆せぬお前を、この魅せられた荒涼の地に、

「恐怖」に憑かれたこの家に、-お願いだから教えてもらいたい-

そもそも-そもそもギリアドには痛みを癒す香油はあるのか-

どうか-どうかそれを教えてもらいたい!

そのとき鴉はいった、「またとあらじ」


`Prophet!' said I, `thing of evil! - prophet still, if bird or devil!

By that Heaven that bends above us - by that God we both adore -

Tell this soul with sorrow laden if, within the distant Aidenn,*3

It shall clasp a sainted maiden whom the angels named Lenore -

Clasp a rare and radiant maiden, whom the angels named Lenore?'

Quoth the raven, `Nevermore.'

わたしはいった、「この予言者め!災いなる者!-鳥か悪魔か、ともあれこの予言者め!

頭上に弧を描くこの天にかけて-われらが共にあがめたっとぶ神にかけて-

悲しみにひしがれたこの魂に告げよ、はるかなるエデンの園で、

天使たちがレノアと呼ぶ天国の乙女をわたしが抱くときがあるだろうか-

天使たちがレノアと呼ぶ、世にも稀な輝くばかりの乙女をだくときがあるだろうか」

鴉は答えて、「またとあらじ」


`Be that word our sign of parting, bird or fiend!' I shrieked upstarting -

`Get thee back into the tempest and the Night's Plutonian shore!

Leave no black plume as a token of that lie thy soul hath spoken!

Leave my loneliness unbroken! - quit the bust above my door!

Take thy beak from out my heart, and take thy form from off my door!'

Quoth the raven, `Nevermore.'

「鳥か、はたまた悪魔か、その言葉をわれわれの別れの挨拶としよう!」と、

わたしは立ち上がりながら叫んだ-

「さあ、あらしの中へ、夜の統べる黄泉の国の岸辺へと帰れ!

お前が口にした嘘言のしるしのその黒い羽根を、一枚なりともあとに残すな!

わたしをこのままそっと一人きりにして-戸の上の胸像から立ち去れ!

わが胸からお前の嘴を抜き去り、お前の姿をわが戸の上からかき消せ!」

鴉答えて、「またと去らじ」


And the raven, never flitting, still is sitting, still is sitting

On the pallid bust of Pallas just above my chamber door;

And his eyes have all the seeming of a demon's that is dreaming,

And the lamp-light o'er him streaming throws his shadow on the floor;

And my soul from out that shadow that lies floating on the floor

Shall be lifted - Nevermore!

かくて鴉は飛ぼうともせず、なおも止まったままでいる、そのままじっと止まっている、

わが部屋の戸の真うえ、蒼ざめたパラスの像に。

その眼はさながらに夢みる悪魔の眼、

ともしびの光は鴉にそそぎ、その影を床の上に落とす。

床に落ちたその影からわが魂が離れ去ることは、

離れ去ることは-またとあらじ!

  -松村達雄訳-

 読んだ感じはいかがであろうか。韻も原文を見ればだいたいのところもつかめるだろう。意味としての表層は訳文から少しは読み取れるだろうし訳文を飛ばして一挙に原文を読み込むこともいいだろう。ポオの規定にかかわらず詩としては随分長く感じられたのではないかと思う。いかにもポオの中では長文詩でもあることもわかる。そしてそれは読むという視覚からと、それが言語を異なることにすることから一旦時間的な了解作業を経ているからだとも云えるだろう。もっともそのことを除いたとしてもこの詩は様々なものを持っている。おそらくは朗読詩として聴覚を通して了解したならば音を媒介させることになり違う姿も見せると言うこともいえる。わたしはこの詩を読んでいるときに最初に思ったのは散文世界を感じさせたと言うことであった。いかにも全体的に物語的な要素を深く漂わせているといってもいいだろう。なぜにそう感じさせたのかは1から始まり7までにある結び言葉"nothing more"などを用いて作った「連」に空間性に拡張されてゆく表現を多く使っているからである。ドアをたたく音とか部屋の物とかがそれをさらに押し広げてゆく。そしてまた学者の悲嘆がなぜかも指し示し、またその死者への思いに耽っているのが真夜中の部屋という密室的空間の設定であることも示すための「連」でもある。恋人を失ったこの学者の心象を暖炉の燃える炎の影が床で揺らぐという隠喩で表し次の連の喩ではそれが真紅のカーテンにとって代わられる。そしてポオらしくというか、段階をひとつひとつ上げながら不安を煽り、それはもはや戦きとよべるまでの気持ちの昂ぶりを示し、その戸を開けようとする衝動にまで高めてゆく。またそれは死者であり、恋人であったレノアに対する激しい追慕の念であり孤独に浸っていた密室であるはずの部屋の主人たる学者は誰かが戸をたたく音のために何度か体を移動さえする。いうならば"nothing more"の意味性をそれぞれの当該連の隠喩によって意味を変えさせ、つまりここでの男(学者)の表象である聴覚や視覚をそれを顕す言語表現によって言葉の持つ像領域そのものを変換させているということになる。『"nothing more"=ただそれだけのこと』の指し示す内容に変化を持たせているということになる。ポオが1から6までの「連」の間で行っていることのひとつにレノアという佳人の死を織り込んでいることであり、彼女が死して再び男(学者)の元にやって来るのではないかという思慕の念と共に全く相反する恐れも描いている。そしてこのような一種の「死美人」*4はポオが様々な作品で取り上げているのでその作品の説明をすることをしないが、この『大鴉』においても死者が生者として甦るのではなく、死者のままやって来るということを暗示していて夢幻的な暗闇の美を最初の連で創りあげているということにもなるだろう。そしてまたこの得体の知れない"visitor"が戸をたたくという決して姿を現さない登場の仕方をし、連を重ねるごとに、その決して像を結べぬ気配を伴う領域に恐怖という意匠を感じさせながら進行してゆく。そしてその先には悲劇を通り越した「絶望」というものが待っていたとわれわれは読み解かなければならないだろう。エンディングまでに進む様々の喩の裏に隠れていて結び句に至る"Nevermore"とはまさしく「絶望」という言葉の象徴なのであり、それゆえにこの『大鴉』は詩たらしめているのだと思う。

  -スタイルとはなにか 9の7(その2)に続く-

Edgar Allan Poe: Complete Poems (Library of Classic Poets)

Edgar Allan Poe: Complete Poems (Library of Classic Poets)

*1raven語源自体は擬音語。アーリア系言語の語源では鴉の鳴き声に近いといわれている

*2パラスアテネの守護神であり学者の部屋に飾るにふさわしいとされるが、それ以外にも発音したときの響きにも注目して選ばれたといわれている。

*3Edenのことであるがポオはこう綴った。これも音韻からそうしたのではないかと思われる。

*4:ポオが死美人にこだわり、また『大鴉』の中でも学者が願う天国においても抱きしめたいとするレノアなる美女への想いの裏には彼が幼年時代から青年期までの間の二人の女性の死のイメージの影があったといわれている。つまり幼くして死別した母親とそれに代わった養母アラン夫人の死であった。最も重要なモチーフとなっているのはポオの病弱な幼妻、ヴァージニアである。

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2007-05-17

namgen20070517

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『構成の原理』4

 ポオは『構成の原理』を書いた意図について自分の創作方法の秘密を明かすのだともいっている。

 ぼく自身はといえば、いま言ったような嫌悪は感じないし、いつだって自作の進行過程を回顧するのはたやすいいことだと思っている。それに分解とか再構成とかいった必須ともいうべきことに対する関心は、分析を受ける作品に対して実際に懐いている、或いは懐いていると思っている関心とは全然別個なものだから、ぼくが自作の一つをとって、その創作方法を明かしても、礼に悖るとは思えない。

  -『構成の原理』篠田一士訳-

 だがしかし、ポオは同じくこの『構成の原理』において書いているところのものに表現者としての本性もしっかり書いていることも思い出さなくてはいけない。現に彼は『他方ぼくだって、結末に至るまでの過程をもう一遍辿ることができるということが、どんな作家にでも当て嵌まるわけではないことぐらい承知している。総じて連想は雑然と浮かんでくるものであって、同じく雑然と追っているうちに忘れてしまうものだ。-構成の原理(本論『構成の原理』1で引用したポオの言葉。)-』と書いていて、つまりポオもその中に含まれうるということも示唆していると言えるだろう。そうであれば、この論じたいが前半部分の論理と中半部分の論理に矛盾を含んでいることにもなるし、ある意味ではこの『構成の原理』自体がもっているものは1年後という後日に書かれた『大鴉』への一遍の分析にしか過ぎないことにもなる。それも作者自身がその作品の批判というものを排除した上で批評しているのである。つまりそれは厳密な上での「批評」ではないのも明らかであり悪くいえば「解説書」にしか過ぎない。無論それはそれで含みうる論の中に詩作に対しての「矛盾」を捨象しても価値あることは認めなければならない。だが詩作品は作者の観念の代理物ではない。ポオにとっての大作(だと彼自身は思っているはずである)である『大鴉』を少しでも認知されることも望んでいたはずである。またそれが世間がポオをもっと認知してくれるはずだという、いわば一種の確信犯的な思惑によって書かれたと思わざるを得ない。それを愚かであると言うべき言葉を今日の我々は持つことは出来ないし、そこには今も文学の世界に於いて問われている問題をあまりにも多く含んでいるからである。つまり決して古くない問題をポオ自身が我々に伝えているからだともいえる。そういった意味で言うならば『構成の原理』には読むべきものはあるということになるだろう。実際のところこの『構成の原理』は当時ポオが意図したように読まれたのであろうかと考えを巡らせてみると、多分彼の思惑と大きく離れたところにしかアメリカ文学界みたいなものがなかったのであり、もはや世間は次の時代にまさに入ろうとしていたとも言えるだろう。当時はそれを裏付けるかのようにポオの作品全体は世間では怪奇に満ちて謎めいた大衆作家として二、三編程度が読まれる程度であり、広くアメリカで文学的に認知されうることもなく、やがて朽ち果てた十字架のように忘れ去られてゆく。これはある意味ではアメリカがヨーロッパよりいち早く近代資本主義から現代資本主義の台頭の中で目覚めてゆくという大きな歴史の必然の中で一人の作家が蹂躙されてゆく姿を我々に見せているといえる。一つの近代が終わる時の末期の姿をヨーロッパに先駆けてポオが見せてくれるのであり、それゆえその詩群も普遍性を纏っているのだ。つまり悲しいことにポオが認知されうるまでには相当の年月を待つしかなかったのである。W・H・オーデンがいう次の言葉はポオの置かれた立場をいみじくも代弁していると思っている。つまり20世紀の中頃になってようやくポオの評価がされはじめたということでもある。

まず最初に、彼の墓は二十六年間も墓標さえ建てられずに放置され-それがついに建てられることになったときには、その建立式に出席した唯一のアメリカ作家はホイットマンだけであったが、彼は今日では二、三の学者の一生の仕事の対象になる危険性にさらされている。学者は、むろん、たいへん有用である。というのは、彼らの献身的な仕事によってはじめて、ポーはあらゆる作家が望むような読者にめぐり合えるかもしれないからである。

  -W・H・オーデン(八木敏雄訳)-

 さて、我々は再度、詩表現における韻律の問題に立ちかえらなければならない。ポオの他の詩たとえば『アナベル・リィAnnabel Lee』*1もその女の名前が読みやすい韻を響かせており、詩表現として優れているかを別として誰でもが口ずさみ易いものとなっておりアメリカに於いてもポピュラーな詩である。そしていずれの女も死んでしまったことに対しての男の追慕であることも共通している。また『大鴉』で詠まれている死んだ恋人の名はレノーアLenoreとなっており名前そのものがポオがいうような「子音のrと母音のo」でもあり、別詩である『レノーアLenore』*2とも同じくしている。それを考慮に入れると暗示的でもありポオが如何に音韻を意識していたかも分かるだろう。だがしかし、一方でそのリフレィンに伴う韻律についてW・H・オーデンは英語という言語圏を同じくする詩人として以下のように述べていることを書きとめておきたい。

だが問いと答えは別にしても、語の筋が自然に流れなければ、詩の効果が損なわれる危険はまだあり、ポーは英詩ではめったに用いない女性韻*3を多用する韻律法を採用したものの、これが筋の流れに対抗し、ときには詩に悪効果をもたらすことになった。

Not the least obeisance made he; not a minute stopped or stayed he;

But, with mien of lord or lady, perched above my chamber door,

(鴉は会釈ひとつするでなし、ひとときもとどまらず、とまらず、

貴人か貴婦人かの物腰で、私の部屋の戸のうえにとまった)

ここで"stopped or stayed he"とか"lord or lady"とかのように同意語を反復する必然性は語り手にも、その場の情況にもなく、ただ韻律の必要からそうなったに過ぎない。

  -W・H・オーデン(八木敏雄訳)-

 また同様に「ユーラルーム-バラードUlalume-A Ballad」*4についてもポオが母音にこだわったばかりにその音色の犠牲になって詩全体のもつ意味が判然としなくなったと手厳しく批判している。

 わたしは詩表現の持ちうる像領域を空間性に流れてゆく意味喩と深く時間化度を増してゆく暗喩というものによって成り立っているという言い方をした。大方の近代詩はそのように成り立っているからである。『大鴉』においては恋人を亡くした学者が風格のある鴉の出現によった学者の心象の変化を描いている。そして更にいうならばポオのいうように彼が拘りを持った言葉であるところのリフレィンによる"Nevermore"とは連句の中でどのような姿を見せるのだろうかと言うことにもなると思う。つまり"Nevermore"の意味性の変容がどのように為されたのかという表現の本質的な部分に触れなければならない。11連句にまたがる中で繰り返される"Nevermore"は無論ポオに言わせれば構成され意図されたものであり、誰が何といおうとも音韻を最適に配置したということになる。さらにもうひとつはわたしにとっては詩が持ちうる喩の力学に於いてどのように深みを帯びて像領域を彼がいう通りに果たしているのだろうかということになる。つまり言葉が"Nevermore"という同じ言葉なのに描く像領域がどのように変わるのかということになる。つまりポオのいうように劇的なまでに美しい詩になっているのかということでもある。そしてついでながら全てに於いて『構成の原理』の通りに詩は出来上がっていたのかということにもなるのだ。だがしかし詩表現は直観による垂直時間の馳せ上がりである。極めて言語表現における時間化度が濃密になったところに表現美が現れると言い換えれる。つまり『構成の原理』に基づくようにして詩は書かれないと言うことにもなるのだ。

  -スタイルとはなにか 9の7に続く-

*1:Annabel Lee:1849年

*2:Lenore:1831年

*3:feminine rthme:二音節または三音節の押韻で、アクセントのある音節のあとで弱い一(二)音節で終わっているもの。例としてはmotion,notion/fortunate,importunateとかがある。

*4:Ulalume-A Ballad:1847年

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