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敵も愚民である

-愚民唯我独尊ごろくより-
 

2007-04-24

namgen20070424

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『構成の原理』2

 では論を更に進めてみよう。

 ポオは『大鴉』を発表して1年後『構成の原理』で以下のように力説するのであり、花田清輝の指摘のようにこれが『構成の原理』で言いたいことを或る意味では簡潔に述べているとも言えよう。

その構成の一点たりとも偶然や直感には帰せられないこと、すなわちこの作品が一歩一歩進行し、数学の問題のような正確さと厳密な結果をもって完成されたものであることを明らかにしたいと思う。

  -『構成の原理』篠田一士訳-

 そして花田清輝は『構成の原理』においてのポオのこの言を取りあげ明快に以下のように言っている。また考えようによっては『構成の原理』に対して誰もが最初に抱くことであるとも言える。W・H・オーデンも指摘していたように従来の詩人、文化人、及び取り巻く大衆の先入観をゆるがすためにも意図的に書かれていると言う印象である。だがそれはあくまで我々が最初に感じる印象でしかない。

周知のように、この論文のなかで、ポーは、かれの有名な詩『大鴉』がいささかも偶然や直感に依頼するところなく、砂糖をいれ、塩をいれ、とろ火で煮たて、やがて一皿の見事な料理ができあがるように、「数学の問題の正確さと厳密な因果関係をもって、一歩一歩、その完成にむかって進行していった」次第を物語る。かって私は、正直なところ、こういうポーの言葉を、すこしも真面目に受けとろうとはしなかった。私の読みとったものは、大衆の鼻をつかんで引きまわしてやろうという不敵なポーの面魂であり、たちまち霊感をふりまわす凡庸な詩人への皮肉であり、さらにまたかくも特異なテーマを、かくも無造作な調子で表現することによって、かえって強烈な印象を読者の心に喚起しようとする、この論文の「構成」の巧みさであった。

 -「ポー終末観」花田清輝 1941年

 しかしW・H・オーデンもいっていたポオのその他の批評のことも考えればポオにとってサロン界が収入の道のひとつであったことも考慮の内に入れておかなければならないだろう。つまりへっぽこ詩人達の批評を書くことによって生計の糧のひとつになっているという当時のポオの文化人としての姿が見えるはずでもあるのだ。だが、それらのことを横に置いても、『構成の原理』はポオにとって言いたいことが言えた批評のはずである。しかし、21世紀の今の我々にとってその書かれた内容を自ら持ちうる観念と照応させ、なおかつ、その意識でもってただ遡行し古典的なものを断じていいものでもない。まず『構成の原理』を読んでいて我々が素直に感ずるのはその一種古典的な論理と、それにも関わらず当時のポオの持っている情熱である。今まで誰もがその当時取りあげなかった詩作領域への形式と表現への言及なのである。そしてまたそれにいたる彼自身の誇りと既成概念に対するアンチテーゼというべきものも見ることが出来る。つまり旧態依然の状態への彼の目一杯の主張であるとまずは読みとるべきだと思っている。

以上の考察と、大衆の好み以上でも批評家の好み以下でもないと考えられる興奮の程度とを思い合わせてみたとき、ぼくは自分が構想した詩作品に適当と思われる長さを即座に考えついた。即ち百行の長さだった。実際には百八行(『大鴉』の詩行数)ある。

  -『構成の原理』篠田一士訳-

 まず彼は文学作品というものの長さについて触れ小説、散文と違い詩作品には効果を考えると自ずから長さの限界があり、「短さ」が効果の強さに正比例するはずなのだという論を展開する。つまり詩の外見的な「形式」について触れているのであり、読み手が受けうる詩的イメージに美を感ずるには適度の長さというものがあるというわけである。それは決して長いものではなく限界というものがあって然るべきだというのである。そして次に詩的言語と言うべきか、言葉が創り上げてゆく美の領域の根底には美表現へのトーン(調子)というべきものがあって、それが最高潮に達していれば人を最高の美に酔いしれさせることが出来るという論調に進んでゆく。ポオはその調子(トーン)のことを「悲哀の調子」ということによってその調子が奏でるものこそが表現美を形作れるのであり読者に感動を呼び起こすことが出来るとして『大鴉』において重用されている技法上のリフレィンやその使い方にヴァリエーションを持たせ絶えず新たな効果を与える手法、そして言語の持つ音韻のことに迫ってゆくのである。

  -スタイルとはなにか 9の6(その3)に続く-

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